歴史と本マニアのための部屋

歴史、政治、本、あと吹奏楽関連のつぶやきです

東方の三博士

※2020年12月に書いた記事です。「ござさんの魅力を語る部屋」から移動しました。

キリスト降誕:いわゆる東方の三博士について。 

 

クリスマスとは?降誕祭の事。

その際必ず語られる話として。

 

ーー東方の三博士ーー

イエス・キリストが生まれた時、東方から贈り物を持って礼拝にきた3人の賢者。

賢者=マギとは、古代メディア王国(B.C.18~B.C.6世紀)では魔術師・占星術師・聖職者などを指す。ゾロアスター教の司祭の説もあり、つまり東方とは異教徒の住む地のこと。(具体的には現在のイラン~コーカサス付近)
※参考リンク:東方の三博士 - Wikipedia

 

 

家庭での行事としてのイメージ:

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リンク:キリストの降誕 - Wikipedia

プレゼピオ。キリストの降誕をストーリーにしたジオラマ模型。待降節アドベント(12/1~12/24)の間、降誕祭まで飾られる。カトリック圏ではクリスマスツリーの代わりだったりする。馬小屋の場合もある。Σ(・ω・ノ)ノ!多分、手前の豪華な身なりの人が東方の3博士かもしれん。

ドイツならシュトーレンを少しづついただきながら、楽しみにクリスマスを待つといったところ。アドベントカレンダーも飾ってるかも。

 

・・・あ、うち? クリスマスツリー?

高齢者が「うちは仏教だし」とか言ってるから、そういう横文字の異教徒(笑)の飾りなんぞ置かせてもらえないに決まってるでしょ(泣)

 

 

ここで、どうしてこの話が聖書に入っているかを考えよう。

このくだりが収められている新約聖書の「マタイによる福音書」が成立した時期は、キリスト教が非常に勢いをもって各地に広まっていった時期であった。そこで聖書とは異民族、異教徒への布教になくてはならないものだが、この3人の賢者を各民族出身の者とすることで、イエスを周辺の地の各国からも礼拝に訪れる対象であると設定し、権威を持たせる意義があったと思われる。

→3博士の出身地:周辺の各国とは具体的に、どこを指すのか?

→インドの王、アラビアの王、ペルシアの王。

アジア、アフリカ、ヨーロッパの各大陸を指す。

 

 

 

代表的な絵画で図解してみよう。

『東方三博士の礼拝』サンドロ・ボッティチェッリ(1475年頃、ウフィツィ美術館所蔵)

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メディチ家のお膝元、フィレンツェウフィツィ美術館にある、盛期ルネサンス絵画。絵のモデルもメディチ家メンバーのオンパレード。

……それは置いといて。構図がその時代にしては斬新。単なる行列を描くのではなく、イエスを中心とした立体感がある。三博士が目指してきた聖なる光が聖母マリアとイエスの頭上に輝く。1番年上の博士を演じる、メディチ家の長老こと老コジモ。と、その後に続く博士たち。

この背景にある遺跡はローマ帝国を表し、イエスの出現により異教徒の古い国家は滅び去り、新しい世界が構築されることを示す。…だったっけ。ま、いーや。

画像リンク:東方三博士の礼拝 - Wikipedia

 

※↓↓↓こっちはダ・ヴィンチ。これも構図が同様に斬新。あれ、イマイチ色がはっきりしないですね…そう、下絵なので。
 【作品解説】レオナルド・ダ・ヴィンチ「東方三博士の礼拝」 - Artpedia アートペディア/ 近現代美術の百科事典・データベース

 

 

音楽に見られる主題。

フランスはプロヴァンス地方の民謡。3人の王様というのがつまり3博士を指す。フランスではクリスマスキャロルとして教会で歌われる。

三人の王様の行進 峯陽作詞・フランス民謡 La Marche des Rois - YouTube

La marche des rois - YouTube(フランス語)

 

ビゼーアルルの女」第2組曲ファランドールでは、この主題が使われている。

「アルルの女」第2組曲より ファランドール “Farandole” - YouTube

 

 

 

 それでは東方三博士による3つの贈り物とは何なのか?

黄金 王権の象徴。メルキオール=青年の姿の賢者から。

 

乳香 神性の象徴。バルタザール=壮年の姿の賢者から。 

 

没薬 死の象徴。カスパール=老人の姿の賢者から。

 

黄金……王位を表す。

エスが世界、つまり現世の王となることを暗示している。王といっても狭義でのユダヤ人の王を指すのではなく、全世界の王という意味。

 

乳香(にゅうこう)とは。

神性の象徴というのが示す通り、古代アラビア、エジプトなどで祭祀の場で使われた、神秘的な芳香の香料。魅惑的な天上の雰囲気が漂う。

 

では没薬(もつやく)は?

カスパールは死の象徴とかいう縁起でもない肩書きがついてるが、没薬=myrrha即ちミイラの語源。これも古代アラビア・エジプトにおいて香料としては勿論、鎮痛剤・防腐剤などとして珍重され、医師によって処方される薬物でもあった。ソマリア方面原産の樹脂。つまり、医師=病気の治癒=復活の象徴という側面を持つと考えられる。医師とは人類史上最も古い3つの職業の一つである(他の2つは泥棒と娼婦)。このことから、ここでいう没薬は復活、つまり救世主という意義だと考えられてきた。

古代社会において最も重要な役割を担う香料ながらも、その用途は様々な顔を持つ。薬にして、且つ刺激的な芳香。乳香が神聖な香りなのに対し、没薬を焚いた芳香は刺激的つまりスパイシーである。

 

 

 

★★以下、倉庫エリア

 史料を利用してより深く背景を掘り下げ、乳香の神聖さを再認識するコーナー。

 

 

 ※資料その ①:東方三博士について

マタイによる福音書 2:1-13より

占星術の学者たちが東のほうから来た。当方で星を見た彼らは、ヘロデ大王に「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」と尋ねる。ヘロデ王は祭司長たちや律法学者たちを集めて問いただすと、彼らはそれがベツレヘムであることが預言書(ミカ書5章1節)に書かれていると答えた。

星が先立って進み、幼子のいる場所の上に止まる。博士たちは家に入り、母マリアと一緒にいた幼子イエスを見て拝み、乳香、没薬、黄金を贈り物としてささげた。ヘロデ大王は幼子を見つけたら、自分に知らせるようにと彼らに頼んでいたが、彼らは夢のお告げを聞いてヘロデ大王のもとを避けて、別の道を通って自分たちの国に帰った。  

 

※資料その②:概説ー乳香と没薬

「世界大百科事典」平凡社 香料の項から抜粋

アラビア半島南部ドファールの乳香と南西部の没薬について。この二つの香料は対岸の東アフリカのソマリアでも産した。乳香はボスウェリア属の植物の芳香ゴム樹脂で、焚けば優雅な香煙を出すが、甘美な香りである。没薬はギリシア語でmyrra、この意味は「刺激が強い」である。赤褐色の不規則な塊状のゴム樹脂で、乳白色でミルクのしたたりが固まったような乳香と対照的なにおいである。乳香が古代オリエント~ローマ時代を通じて香料の代表であったのに対し、没薬はむしろ医薬にあてられ、香膏と香油の賦香料の主体となっている。没薬でにおいをつけた香膏と香油は、古代エジプトからギリシャ・ローマへ普及し、現代の化粧料の源流と考えられる。(中略)キリストの生誕に当たり乳香【神】、没薬【医師即ち救世主】、黄金【現世の王】の3つが、東方から来た3人のマギ(賢者)によって捧げられたと≪マタイによる福音書≫が伝えている訳はここにある。

    

資料:地理的な乳香原産地 Googlemapから

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※資料その③:乳香についての1次史料コーナー

乳香の原産地はアラビア半島南部、現在のイエメンとオマーン旧約聖書にはシバの女王の伝説が見え、王国は隆盛を極めた。その富は香料(その他宝石など)による事は想像に難くない。

「歴史」上 P410~  巻三 107節
ヘロドトス(B.C.484-430頃) 松平千秋訳 岩波文庫 1971年刊)
紀元前ギリシャの人、ヘロドトス。乳香については伝聞のためか曖昧である。有翼の蛇って、グリフィンじゃないんだから。

次に南方では、人類の住む最末端はアラビアで、乳香、没薬、カシア、シナモン、レダノンの生育するのは世界でこの地域のみである。没薬を除いてすべてのこれら香料の採取には、アラビア人は容易ならぬ苦労をする。アラビア人は乳香を採取するのに、フェニキア人がギリシアへ輸出しているステュラクス香を焚く。乳香を採るのにステュラクスを焚くというのはなぜかといえば、乳香を産する樹はそのどの株にも、形は小さいが色はとりどりの有翼の蛇が無数に群がってこれを衛っているからで、これはエジプトを襲う蛇と同類のものであるが、これを樹から追い払うにはステュラクスの煙をもってする以外に方法がないのである。

 ※その他、テオフラストスの「植物誌」、プリニウスの「博物誌」にも記載あり。

 

「エリュトゥラー海案内記」(作者不詳 紀元1世紀  村川堅太郎訳 1946年刊 生活社)

ヘロドトスから500年後くらい、ローマ帝国時代。ギリシャ人系の商人が現地で情報を入手したと思われる。貿易業者のための航海水先案内書。現地での商品の取引の様子など、段違いにリアル。

第24節 取引先のムーザは港はないが(中略)碇泊には適している。---(中略)ーーーこの地方の特産品としては優秀な、また滴状の没薬、即ちアベライライアとミナイア、白大理石(以下略)。

※ちなみにムーザは、(モカコーヒーの)モカのことである。モカ・マタリ。

 第26節 オケーリスの次には、海が再び東に向かって開き次第に大海に変わって行くと約千二百スタディオン離れてエウダイモーン・アラビアー(=幸福のアラビア)があり、ーー(中略)ーーここは以前は都市で、エウダイモーンと呼ばれたのはまだインドからエジプトに来る者もなく、またエジプトから外洋の諸地方にあえて渡航するものもなく〔各おの〕此処まで来るに過ぎなかった頃に、ちょうどアレクサンドゥレイアーが外部からの輸入品やエジプトの輸出品やエジプトの輸出品を受け入れるように、両方面からの商品を受け取っていたからである。 ※注:1スタディオン=177.6m 60スタディオン=約10km

※エリュトゥラー海案内記は、インド洋の季節風:通称「ヒッパロスの風」に乗って帆船で航海する商人のための地誌ともいえる。ちょうどこの乳香の産地を起点に、ダイレクトにインド洋を横切っていたと思われる

第29節(乳香の産地のようす) カネーの後には(陸地が)更に後退し、別の長距離に亙ってきわめて深く入り込んだいわゆるサカリテース湾と乳香地方が続くが、この地方は山地で近づき難く、空気は重苦しくて霧っぽく樹木から乳香を産する。乳香を産する樹木はさして大きくも高くもないが、ちょうど我々の土地のエジプトで或る種の樹がゴムを流し出すように、樹皮に凝固した乳香を産する。乳香は王の奴隷や刑罰のために送られた者たちの手で扱われる。この辺は恐ろしく不健康で沿岸を航海する人たちには疫病を起し、其処で働く者には絶えず死を齎(もたら)す。もっとも彼らが斃れ易いのには食物の欠乏ということも与かっているのであるが。

※乳香の原産地の解説。アラビア半島南端の砂漠地に生える、樹高が低い灌木の幹を傷つけて、樹脂を取る。

 

 

 

中世アジアにおいての乳香。

「諸蕃志」1225年ごろ成立の南宋の地誌。下巻:乳香の項から。
趙汝适(A.D.1170~A.D.1231) 藤善真澄ほか訳注 関西大学出版部 1991年

中世、宋の時代になると南海交易を通じて、国家規模で乳香、没薬その他香料が輸入されるようになる。主な港は広州、福州、泉州など。貿易を管轄する役所:市舶司がその業務を担ったが、扱った乳香の量は莫大であり、その取引額も天文学的であった。 

 

この本の訳注・解説部分。

 ※   乳香。本條のほか上巻の三佛齊・大食・中理各國條にみえる。frankincense(フランクインセンス) またはolibanum(オリバナム)。古来、中國では薫陸香の名で親しまれてきたカンラン科Boswellia属のニュウコウ樹Boswellia corterii から採取するゴム樹脂の香料。この種の樹は25種が知られており、熱帯アフリカの乾燥地帯、西アジア、インド等に廣く分布する。ことにアラビア半島南部のハドラマウトHadramaut地方やソマリーランドSomaliland 一帯が主要産地であり、Boswellia carteri Birdw を代表的乳香樹とする。その高さ數メートル、羽状複葉で、樹幹に傷をつけ滲み出した脂を採取するが、その名の由来は、乳白色の汁状にちなんでいる。乳香は凝固すると黄白色か黄色、黄褐色となり、焼くと黒煙そして白煙をあげ強い芳香を放つ。古代オリエント・エジプトでは没薬とともに代表的な香料であり、『マタイによる福音書』2-1-11にはイエス生誕にマギが黄金と乳香、没薬を捧げたことを傳える。(中略)中國が博買する香料の中心は沈香とともに乳香であったことは、よく知られている。

 

原書の漢文ー現代語訳。

乳香は別名を薫陸香といい、大食(アラビア、イスラム圏)の麻囉拔、施曷、奴發三國(=要するにハドラマウト地方)の深山窮谷中から産出する。乳香樹はだいたい榕(ガジュマル)に似ており、斧で株を斫ると樹脂が外へ溢れ出し、結ぼれて乳香が出来、これを聚(あつ)めて塊にし、象に輦(の)せて大食へはこぶ。大食人は舟に載みこみ三佛齊(=インドネシアマラッカ海峡付近)にきて他の貨物と交換する。だから香料はかならず三佛齊に聚(あつ)まるのである。

外國商人たちが乳香をつんで(南宋に)貿易にやってくると、市舶司は香料を検した量の多寡によって殿最(=きんむひょうてい)をつける。

そして香料の等級は十三のランクに分ける。

最上の品が揀香である。圓(まる)く指の頭ほどの大きさをしており、一般に滴乳と呼ばれているのがそうである。

次を缾香といい、品質は揀香もどきである。採取する時、鄭重にあつかい缾の中に容れておくところから、この名がある。缾香の中でも上・中・下三等に区別される。

またその次を袋香という。名の由来は採取する時に〔缾香と違い無造作に〕袋の中に容れておくからである。袋香にもまた缾香の場合と同様、三つの等級がある。

又その次を乳榻という。香に砂や石が雑ったものだからである。

又その次を黒榻という。香色が水に侵漬ってしまい、香気が変わり色が落ちたものだからである。

以上の品が雑りあい、砕けたものを斫削といい、簸であおりあげ塵のようになったものを纏末というが、どれも乳香の一種なのである。

 

 

 

原文。

 

乳香一名薰陸香,出大食之麻囉拔、施曷、奴發三國深山窮谷中。其樹大槩類榕,以斧斫株,脂溢於外,結而成香,聚而成塊。以象輦之至于大食,大食以舟載易他貨于三佛齊,故香常聚於三佛齊。番商貿易至,舶司視香之多少為殿最。而香之為品十有三,其最上者為揀香,圓大如指頭,俗所謂滴乳是也;次曰缾乳,其色亞於揀香;又次曰缾香,言收時貴重之置於缾中。缾香之中又有上中下三等之別;又次曰袋香,言收時止置袋中。其品亦有三如缾香焉;又次曰乳榻,蓋香之雜於砂石者也;又次曰黑榻,蓋香色之黑者也;又次曰水濕黑榻,蓋香在舟中,為水所浸漬而氣變色敗者也。品雜而碎者曰斫削,簸揚為塵者曰纏末,皆乳香之別也。