歴史と本マニアのための部屋

歴史、政治、本、あと吹奏楽関連のつぶやきです

懐かしい風景

ござさんは6月末のツイキャスで、2020年1月末に介護施設を退職した際その時間を使ってどこに行ったかというと六義園だと言っていた。ほぉーん、柳沢吉保ゆかりの庭園なのか。

リンク:この公園について|六義園|公園へ行こう!

 

と、調べていて思った。この間の古河邸でのジブリ動画とアー写といい。高尾山と温泉といい。ござさん、趣味が渋いなあ。

 

いや?自分もたいがい渋いぞ。

地元にある栗林公園は高松の松平家が作らせた大名庭園。千本とも言われる見事な松がその枝ぶりを競う、紫雲山を借景とした広大な庭園だ。しかし身近過ぎてあまり自分は行かない。

見物と言えば、O県岡山市の後楽園によく行った。後楽園も同様に備前池田家が岡山市旭川にある中洲に造った池泉回遊式庭園。タンチョウがお正月には放鳥されることで有名。八つ橋(伊勢物語が起源 リンク:八橋伝説地(やつはしでんせつち))に茶室、能舞台、水田に茶畑も備えた、元禄の大名文化を今に伝える名園である。向かい側には烏城(うじょう)と呼ばれた岡山城(再建)もある。
備前池田家
後楽園 - Wikipedia

O県瀬戸内市の長船(おさふね)刀剣博物館も好き。そこは中国山地から流れてくる豊かな水をたたえた吉井川の河口、長船。その水運の利と砂鉄の産地という点から、古くから長船派の刀剣が有名である。【中国地方の砂鉄は映画「もののけ姫」にもたたら場で作られる鉄の原料として描かれている、気がする。】大山祇神社が奉納品としての刀剣を多く所持しているのとは違い、刀剣生産地としての歴史を振り返ることができる博物館である。
【刀剣ワールド】長船鍛冶の歴史
長船派 - Wikipedia

また、長船に行ったらついでに備前市伊部(いんべ)にも寄って備前焼を買ったりしていた。

 

話が横道にだいぶそれました。すいません。

ござさんの渋さが職場環境から来たにしろ、とにかく選曲も昭和に精通してるものがあるし、リアルな昭和期のレトロ感を醸し出している。

じゃあ自分もレトロな記事書いてみましょう。

しかしコロナウイルスが流行している昨今、O県にそんな見物目的で出かけるわけにもいかないので、手軽に近隣地域のレトロなものを写真に撮ってみた。これをまとめるにもテロップが来なかったので、最近延々とTwitterに謎の写真たちだけがUPされる事態となっていましたが、目的としてはそれでした。説明もつけてみます。

 

 まず暑いので隣のT県(一昨年の写真)池田市東祖谷山村の風景から。二重かずら橋付近の四国山地の奥地。壇ノ浦で敗れた平家の武士が隠れ住んだっていう伝説がある。

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 そうですね、何の順番に並べるかって、実際の観光案内ルート風にしてみましょうか。

 ではまずZ市のJR駅から。え~何々?駅舎は明治22年築、正面車寄せを大正11年増築ですって。国鉄の駅になったのは明治39年と……なんか駅名めっちゃ見えるな。まあいっか。

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ついでに、 同じく明治22年から開通した路線の、隣のT町の駅(建物は改築)。それから蒸気機関車の時代の給水塔がそのまま残っている。当初はこのT町~Z市~を経由してこんぴらさんへの参詣目的の鉄道だった。要するに船で尾道と福山、岡山、それから大阪からくるお客さんを港からこんぴらさんへ運ぶルートが四国の鉄道のはじまり。

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 (こんぴらさんへの参詣道について書き出すとまた横道にそれるので割愛します。)

  

 

Z駅の駅前通りにある、店舗兼住宅として使用され現在も営業中の写真館。明治34年築の洋風建築。

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 町中に残る煉瓦塀。

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Z寺も貼っておきましょうか・・・創建当時の建造物は残っていません。(戦国時代に消失)ただし自分のTwitterプロフィール欄住所表記には、このお寺の創建当時の地名をもらいました。だから絶対現在地はばれない自信があるwww

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 ※リンク:善通寺 - Wikipedia (伏字になってないなあwww)

 

 お寺の中で有名なのは建造物よりむしろこっち、クスノキ。 樹齢1300年くらい(正確な数字は誰も知らない)空海さんが生まれた時にはすでに大木だった説あり(真偽は不明)

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  ※リンク:善通寺の大楠 - 巨樹、巨木巡礼

 

 

  さてZ寺の境内は大きく2つに分かれているが、その中間を走る道路沿いにあるお店、熊岡菓子店。通称かたパン屋さん。

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創業はいつなんでしょう。120年くらい前。ふうん。1896年、明治29年らしい。建物は大正2年(1913年)築。店先の小さいガラスケース(木製)にかたパンを並べて売っている。売り切れたら閉店。確実に買いたければ昼頃までに行くといい。店の中で製造してるので大量生産はできないということだろう。

かたパンはその名の通り、超かたいせんべいというか何というか。小麦粉とと生姜が混ざってるのか、砂糖の甘い風味の中に渋い味がして、噛めば噛むほどとはこの事かと思う。いや、かたいので噛めない。湿気さえなければ、日持ちのするれっきとした保存食。すぐ近くに当時は陸軍基地があり、日清戦争(1894年)の際の食料として考案されたのが最初だとか?でも年代的に日露戦争(1904年)じゃないのかなあ?

※リンク:熊岡菓子店 (くまおかかしてん) - 善通寺/スイーツ(その他) [食べログ]

 

左の写真:お店の前の道からお寺が少し見える。
右の写真:かたパンの一例。左:丸パン、右:石パン。

さすが保存食にして陸軍の携行食なだけある。こんな小さいのだが、少し食べてもものすごく腹持ちがいい。おいしいからといって、くれぐれもうっかりおやつに食べ過ぎてはいけない。 

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当時の陸軍基地は、現在陸上自衛隊の駐屯地になっている。どーしよう、いいのか?観光協会HPに載っているからのせてしまえ。ええい。

自衛隊には(たぶん明治時代の)レンガ倉庫がたくさんのこっている。辺境の地なので空襲もなかったせいか、当時の陸軍の遺構はこれ以外にもある。

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(本当は旧司令部とか趣があるが予約していかないと入れないような施設で撮影はあきらめた)

 

陸軍時代の将校の社交場、偕行社。現在は一部がカフェとして使われている。寄せ棟造りの立派なもので、同様な洋風建築はほかに四国学院大学内にその遺構の一部がある。

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郊外というかもう少し北、つまり海寄り。昔からの医院。

それからこんぴら灯篭。(多度津、丸亀方面からこんぴらさんへの参詣途中に目印として建てられたもの)

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その近くには湧き水がある。(他にも湧き水は多数点在している)これを出水(=ですい)という。または「(地名)の湯」。

この辺はうどん県の中部を流れる土器川扇状地である。土器川自体が水はけが非常によく、雨が少し降らないとすぐに流れる水は伏流水として地下に潜る。(え・・・?それ川として成立してなくない?)伏流水はその少し下流側で地表に出てくるが、平野部を広く地下水として流れ、所々で地表に湧き出てくる。

それが出水。

だから、通常その辺の川とか水路は常にからっぽ。自分は生まれて初めて海の向かい側のO県に行ったとき、ちょっとした水路も常時満水なことに驚愕した。「え?少し雨降ったら終わりじゃない?」でも不思議なことにそれらの水路はあふれないというのも驚きだった。いったいどうなってるんだ。

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今風に護岸工事をしてしまって湧き水の風景でも何でもなくなったが、実際この水はここの地点で突然湧いて出てきてるので一応湧き水である。工事前はもっと深かったし、自分はこういう湧き水で夏になると服のまま飛び込んで遊んでいた。(今やったら学校に怒られる)

 

 

 

常に空っぽなうどん県(中部)の川。実際それら湧き水だけでは作物は育たない。

そこで特に田植え時期、水田に引く水を実際どこから都合していたのかというと、うどん県全体で1万を超える(らしい)ため池からである。

田植え時期も一段落、稲の苗もようやく根を張って育ち始めた半夏生のころ7月2日。自分は半夏生だけの話題でもブログに上げようかと思ってため池を見に行った。

それはうどん県いや日本で最大のため池、M池だ。

この写真の後ろにあるのが池の堤防、水が流れ出しているのは取水口である。これを毎年6月中旬に一斉に開く行事を「ゆる抜き」という。その当日はアマチュアカメラマンが一眼レフを持って詰めかけるので自分はその人気の日を避けてこっそり写真を撮ってみた。

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天気もまだ梅雨空、取水塔が静かに水面に映っている。

しかし今年も満々と水をたたえており、今から水田に水を切らせない身としては頼もしい存在。(本当はそこら中にため池がめぐらされており、ウチの水路はこのM池からのものではないけど)

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ちなみにこの池を修復したのは空海さんとなっているが、本当の水利の恩人と言えるのは隣の徳島県を流れる吉野川からそういった水利目的で水を分けてもらう目的に奔走された大久保仁ノ丞さんだと思う。

それで開通した水路が香川用水(おおもとの水源は早明浦ダム)であり、じっさい田んぼ以外にも工業用水も全部これからもらっているわけで、うどん県民はもっと大久保仁ノ丞さんに感謝したほうがいいのでは。そして、隣の徳島県には頭をいくら下げてもお礼しきれないのだ。

それくらい、絶望的にうどん県には雨が降らないから。この用水なしには生きていけないのはある意味本当である。