歴史と本マニアのための部屋

歴史、政治、本、あと吹奏楽関連のつぶやきです

先入観ーーかてぃんさんとポーランドの交響楽団

★★この記事は、ポーランド国立放送交響楽団の岡山公演に際しての、先入観です。★★

 

★★演奏聞いたら、感想をまた書くかもしれません★★

 

 

9月14日、水曜日。

今日は瀬戸大橋を渡って岡山にコンサートに来た。

コロナウイルス流行もあり、生でクラシックのコンサート聞くのは久しぶり。

クラシックに限って言えば、10年くらい行っていないかもしれない。

 

今日の公演は岡山シンフォニーホール

座席数2000を数え、3階席までの大きな吹き抜けの客席を持つ、豊かな響きのホールだ。

オーケストラピットをもち、クラシックからオペラやバレエなど数々の公演の実績を持つ。

 

今日聴きに行くのはポーランド国立放送交響楽団のジャパンツアーの一角、ソリストYoutubeでも人気のかてぃんさんを迎えてショパンのピアノ協奏曲1番、それにドヴォルザーク交響曲新世界より」全曲(?)。

 

このコンサートの出演者クレジットでは、かてぃんさんではなく本名の角野隼斗で広報されている。 

しかしこの記事の中では自分はかてぃんさんと呼ばせてもらう。

 

自分はピアノは小学生の頃苦手でやめたが、今ネットでピアノを聞いてるのも、このブログを始めたのも、

「ござ」さん

というピアニストの動画がきっかけだ。

そこから色々なピアノ動画を聴く中でかてぃんさんを知った。その頃自分の印象に残った人はほかにもけいちゃんさん、菊池亮太さんがいる。要するに、「ねぴらぼ」(かてぃんさんファンはご存じの事と思うが)のメンバーとしてである。

自分はクラシックピアノはいい思い出がなく、そっちは聞く気にならなかったというか、アプローチできない。

 

ねぴらぼには今までのピアノっていう既成概念を超える存在があったから、自分はその幻影を追っているのかもしれない。求めてる音楽像はそこが完成型なのかもしれないが、しかしねぴらぼを理想とするからには終着点は存在しない。

 

メンバーはみんなそれぞれに活躍の場を広げたことで、もうあの形式でのねぴらぼの開催は難しくなったのかもしれないが、自分の中で大切にしたい印象として残っている。

 

4人のメンバーにはそれぞれ強烈な個性がある。

(自分としては、理由はわからないけどあの音が好きという理由で、ござさんを追ってずっとここに記事を書いているが。)

他の人を追えないのは単に時間(とお金)がないからである。

 

しかし今回、(あくまで偶然に)かてぃんさんのことについて書く機会を得たので試しに綴ってみたい。

 

 

かてぃんさんの第一印象は、自分としては昔Youtubeに上がってた

・ヤンキーの格好したドッキリ動画

・オタクの格好したドッキリ動画

が挙げられる。

このお茶目な行動にして、そのピアノがとんでもなく衝撃だった。キャッチーな絵面に対して演奏がすごすぎた。

世間的には東大卒(しかも理系)、クラシックの全国コンクールで優勝っていう肩書きがあれば、社会人として生きていくのには何一つ不自由しないはずだ。でも大学院を出てからも、サラリーマンや起業の道は歩まなかったらしい。

当たり前か。

 

第一回ねぴらぼで、それまでのピアノの演奏、というか「クラシックの楽器としてのピアノ」という既成概念、そういった従来の障壁は物理的に一気に取り払われたと思う。

 

かてぃんさんの本領もそこだと自分は思ってる。

 

クラシックピアノの盤石な基礎技術を武器にしているからこその可能な変幻自在な表現。クラシック奏者だったのは、それへの手段つまりアドバンテージだ。

 

世の中の一般論として。

クラシック曲は伝統に基づいた解釈に則って演奏される。その解釈は目に見えない生垣で囲まれていて、そこから決して逸脱してはいけない。

 

かてぃんさんはその解釈に第3の方向から柔らかく切り込んでいる。

クラシックの語法を操りながらも、ピアノという楽器そのものに全く新しい印象を盛り込んでいる。

 

………いや正統派のクラシック奏者でもあると思いますけどね。

音楽とは世界共通の文化です。

うーん語弊があるな、ピアノは西洋文化をもとにした楽器であり本場は欧米ですが、しかし国際コンクールには世界中から参加者が集まります。歴史もルネサンス以来と非常に長い。

CDのヒットチャートやニュースといった流行・話題にのぼることはほとんどありませんけど、クラシック音楽の世界というのは奏者も聴衆も、深い教養に基づいた非常に厚い層を持っている。簡単に切り込める世界では無い。

彼らはクラシック音楽の解釈・研究と演奏に生涯を捧げている。

 

かてぃんさんのピアノにはそういう拘束がない。

こうあるべきという縛りがないから、いかようにもなれるという限りない可能性を感じる。

 

発想の自由さ、それがかてぃんさんの演奏の生命線、それこそが魅力。

クラシックの楽譜というあたえられたツールを飛び越えて自らの言葉で語る、独創性。

 

あと、ピアノ演奏以外、演奏家としての姿勢。

それこそが、いちピアノ奏者からかてぃんさんが国境を越えた人気を獲得した要素。

それは一言で言い換えられる。

ホスピタリティ、だ。

日本語で言えばおもてなしの精神だ。

 

商業的成功を目的とするなら、サービス精神というのは最低限の前提だ。(しかしそこには利益が出てこそのサービスしか普通は存在しない。利益を目的としないサービスはボランティアというのだ。)

 

いわく多種多様なコンサートの出演。(その過密スケジュールを支える、徹底した体調管理があると思う)

 

しかしかてぃんさん自身の人柄と多様な表現力、柔軟な顧客サービス…そのどれもが自然とファンのみならず、ピアノに待ったっく興味なかった人までも惹きつけるのかもしれない。

 

魅力があるから仕事が来るのか、多様な演奏活動がさらにファンを虜にするのか?

ファンクラブでも何でもない自分でも、風に聞く噂だけでもその活動の幅広さには舌を巻く。

 

いわく、TV、CM、ラジオ番組といった、ホームグラウンドのネットを飛び出したメディア戦略。

いわく、過密な公演を縫ってでも提供されるインスタライブなどの、かてぃんさんを身近に感じられる配信。

さらに、安価で敷居の低い、ファンクラブとメンバーシップ=ラボの会費設定。それにしては豪華すぎる特典ラインナップ。ラボの配信内容も充実、有料サービスに入ってみようかな?という魅力に満ちている。

 

本格的クラシックとは言わない。あくまで。演奏の内容についてはその道の専門家が批評することだ。

あくまでファンの意識の外からの意見、だけど。

 

かてぃんさんにはクラシックの枠にこもってほしくない。クラシックはコンクールの評定を活動の基準としている。かてぃんさんの演奏はそういう相対的な、というか一方的な基準で測れるものじゃない。

 

それは、Youtubeや各種snsアカウントの登録者数、各公演の評判(ファンからだけではなく)、次々と依頼されてる演奏や公演の多様さが、無言かつ雄弁に物語っている。

 

ねぴらぼinvention以来、かてぃんさんについて全く書いてなかった、というか動きが活発すぎて追えなかったので、偶然演奏を聴きにきたので書いてみた。

 

これは予習、というかコンサートまでの先入観だ。(長いな)また演奏を聞いたら感想書くかもしれない。

 

 

 

ポーランド国立放送交響楽団

新世界より

 

自分がこの公演のチケを買ったのは、オケ曲のプログラムが岡山では新世界よりになっていたからだ。そういう気軽な気持ちでネットで申し込んだ。

高校の時に吹部で、文化祭でアイーダ凱旋行進曲と共にやった曲。自分はクラリネットで、4楽章の中間部が大変だった思い出。同級生の上手い子がトランペットの音をカーーーーンと飛ばしててすごかった記憶。

 

今日のそもそもの動機はそこだ。自分は吹部繋がりで管弦楽もCDとかYoutubeでよく聞いていた。新世界も大好き。

どちらかというと東欧の作曲家が好き。

ショパンポーランドの作曲家だがピアノが主なので自分には縁がない。

 

この楽団もワルシャワフィルと同様、第二次世界大戦を経験し、その後本拠地を移して再建を果たしている。その間、楽団は想像を絶する歴史を経験しているはずだ。

ポーランドはドイツや西欧と、ロシアの中間という国際政治上の要衝にあり、絶えず領土を目的とする戦争・紛争の舞台となってきた。

エカテリーナ2世の時代のポーランド分割など。

ショパンエチュードの革命を作曲したのも、ロシアに対するワルシャワの革命とその失敗に対する激情からくるものだ。

 

2度の世界大戦、その後のソ連の支配を経て祖国の自由を勝ち取ったポーランドの楽団の演奏に自分は注目したい。

曲目は上述のショパンと、ドヴォルザーク新世界より

ポーランドと同様、数々の戦乱により国土が蹂躙された歴史をたどってきたチェコの作曲家の曲。アメリカからという標題音楽ではあるが、使われている旋律は土俗的なまでのチェコ民謡が多様され、よりドヴォルザークの祖国愛をひしひしと感じる作品となっている。

 

チェコもまた、ポーランド同様にソ連による支配下において辛酸を舐めてきた歴史を持つ。

 

東欧諸国はどの国も事情は違えどこのような歴史背景をもち、そのためか、作曲家に取り上げられることの多い各地の民謡にも天真爛漫な南欧のラテンの明るさとは違った風合いを感じる。

 

曲目もだけど、こういう海外のオケという、わがうどん県の高松には絶対に来なさそうな楽団が来るっていうのもチケ買った動機だ。

海外の楽団は日本の楽団とは音が明確に違う。

とくに決定的なのが弦楽器。

日本の楽団は全否定とかいうわけではない。

ただそのアンサンブル力、個々の技術力が段違いなのだといいたい。

それはスポーツにおける競技人口と同じで弦楽器を嗜む文化的土壌の層の違いといったらいいのか。ヨーロッパではお祭りでも、大道芸人も身近なところに弦楽器の演奏が存在する。演奏者の層の厚さも全く違うはず。音楽の教育機関の数も違うと思う。そのような文化的背景をもとに育まれた音楽性の違いというか。

 

ソリストとしてのバイオリン奏者は別問題。

楽団としての弦楽アンサンブルは、欧米の楽団の右に出るものはない。

それがCDじゃなくて身近なところに来ているというので、そのチケは買いでしょうというわけだ。

 

ここまで予習。

 

あとは公演を聞いてから。もうすぐ開場なので行ってきます。