歴史と本マニアのための部屋

歴史、政治、本、あと吹奏楽関連のつぶやきです

第1話 約束の月 大河ドラマのlightな感想 光る君へ

 

自分はときどき、気になる年だけ見てみるlightな大河ドラマファン。

大河ドラマってNHKの看板番組として桁違いの予算が組まれてるし色々特別な存在だ。

ジャンルが最近幕末か戦国時代かってなっててマンネリ化してるなと思ってたので、今年のテーマが紫式部平安時代と聞いて珍しく思い、見てみることにした。

 

目次:クリックで各項目へ飛べます

 

 

 

まず大河ドラマとは、フィクションだ。

実在の人物を題材にしたフィクションと思ってストーリーを追わないと、細かい史実を知ってる人がツッコミを入れてたりするがそういう観点はナンセンスだ。キャラの年齢と設定が合わないとか。時代が平安時代、生没年もわからない人が多く登場するし、細かい背景をドラマの筋書きで埋めていくにはフィクション部分はなくてはならないもの。

時代劇(完全なフィクション)というより歴史ドラマとして見たいけど、あくまでドラマはエンタテイメント、娯楽作品として見るものとしてこの感想を書いていく。

史実は各自、視聴者が歴史学の論文を読んで照らし合わせて検証すればいいだろう。

それに、大河ドラマともなれば第一線の研究者が正式に時代考証の担当(または補佐的な位置)としてついてくれるから、荒唐無稽な設定や筋書きにはならないものだ。

というわけで安心して楽しめるエンタテイメントであり、新しい解釈も加わった第一級の歴史ドラマとしても見れる、それが大河ドラマ

(※自分は日本史も国文学もよく知らないlightな大河ドラマファンなのでそんなツッコミはできず、安心してTV見て楽しんで笑ってる派です)

 

オープニングとテーマ音楽

番組の冒頭に毎回流れるタイトルロール、その背景のムービーとBGMが毎回楽しみだ。一年間つきあうことになるからだ。

今回のオープニング動画、芙蓉(?)の花が開くところのスローモーションが美しい。また動画に墨が画材として(?デジタル的なものかもしれないが)使われていて、宮廷の女房文化が背景となってることを思い出した。

テーマ音楽の演奏は毎年NHK交響楽団が担当していて、これを聴きたいからドラマ見るっていう要素が自分の場合は半分以上を占めてるかもしれない。日本でも指折りの奏者が集まるN響の演奏が毎週聴けるなんて贅沢な仕様だ。重厚で壮大なオーケストラにピアノとハープが織り交ぜられ、高貴で華やかな印象を演出している。

時代のうねり、そこに生きる人々の息づかいを想起しながら毎回この音楽を聴くんだなあと感慨に浸りながら初回のオープニングをながめていた。

このムービーをバックに背負い流れるタイトルロール、毎回登場する俳優さんが変わっていくのでそこも見ておきたい。

 

俳優さんとキーワード

第1回はまひろ(落井実結子さん)を主役において紫式部の子供時代が描かれている。

紫式部の生家

ここの明日の暮らしにも事欠くような貧乏ぶりを描いている冒頭部分はおおむね史実に沿ってると思う。当時を再現したと思われる撮影セットのディティールがすごい。雨漏りの修理代がないところから物語が始まり、それにちゃんと家の土塀はくずれかけてるし、母屋?以外の屋根は板葺きに石を載せただけ、父親の為時の衣装は粗末で母の絹衣装だけが一張羅?それも売って生活の糧にしてるらしいし(物々交換)。

紫式部の父為時が学者だが出世しなかったのはほんとうで、なぜ出世しないのかというと世渡り上手じゃなかったから。

要するにいつの時代も目上の人、権力者に取り入って賄賂やコネを使って出世していくのは変わらないらしい。

……そういうのほんと嫌になりますよね ( ꐦꐦ◜ω◝ )

あ、失礼しました。

この風采の上がらない、朴訥な性格の父為時を演じてるのが岸谷五朗

生真面目にしょぼしょぼと勢いなく喋るさまが演技が上手い。さすが。この父親ではこの一家は永遠にこの暮らしかもしれないなあと暗澹たる気持ちになってくる。

そこへ如才なく為時に忠告をして去っていくのが藤原 宣孝。演じてるのは佐々木蔵之介。(←京都に実家=酒蔵がある俳優さんだからか?初回登場時に酒入りのひょうたんを持って現れる)世渡り上手な役回りとして登場するので着てる衣装が格段に贅沢な絹の紋様。この人が藤原 宣孝ですよ、みんな覚えておこう(そんなの知ってる?失礼しました)。登場時、この年齢設定なのかーと思って唖然として思わず史実を調べてしまった(なんのことかって?いいえなんでも)。

この人が藤原 宣孝ですからね、なんか何気ない登場ですが忘れないでくださいね。え?しつこい?すいません(´・ω・`)

登場人物がほぼ全員藤原性で覚えられない?まあそこをなんとか。ロシアの小説がなんとかフスキーって名前ばっかりなのと一緒(そうか?)。

当時は藤原氏がほぼ政権の鍵となる要職を独占してた摂関政治時代の真っただ中。それなら紫式部の父為時も藤原性じゃん?となるが、為時の家系は何代か前で政権の主流から外れた家柄なので今から時流にのるわけにはいかない落ち目の血筋だということだ。この時代、本人の才能も必要だがなんといっても生まれの血筋が運命を左右する。このことはこれ以降の話で嫌でも目にすることになるだろう。

 

高貴な人の暮らし

藤原道長の生家ということで藤原兼家の屋敷=東三条殿の寝殿造りの広間が登場する。

正妻時姫の三人の息子、そして入内が決まった娘詮子が並ぶ中ドラマは進むが、ここで嫡男道隆の娘が赤ちゃんで登場、定子様のことですね、みんな赤ちゃんが泣いてるのに顔色一つ動かさず満面の笑みなのが怖いですね。端っこに座ってる幼い息子さんは伊周さんでしょうか。

吉田羊さん演じる詮子が当時15歳の設定だったのはうーんまあいいか、それよりのんきな弟三郎=藤原道長との会話で

「父上の息子なら何もしないでも偉くなれるわ」←まあわかる、元服後の官位がスタートラインからして違う、でも何もしないんじゃダメだけど

「姉は帝のお妃だし」←ここ重要、覚えとこ

道長にとっての姉が帝のお妃だってことが重要なわけですね。なんでって?まあ今はいいじゃないですか。

 

貴族と一般庶民ではまったく生活習慣が違う。そういう意味でちょいツッコミ(あれツッコミはしないんじゃなかったんか)。

兼家はこのとき大納言と右近大将を兼ねていた家柄、この一家のメンバーが正月とはいえ一堂に並んで顔を合わせていたのが当時の時代設定としては違う気がする、たぶん。

ドラマの初回に大人数が登場するから自己紹介的なシーンでやむを得なかったってことにしときます。

豪壮な寝殿造りの母屋で、男性貴族が並んでるのははこれで合ってると思う、でも女性貴族はこの家柄くらいになると御簾の内側の席に並んでて扇で顔を隠し、その場にいる者にささやかな声をかけるだけだったような?

その後、詮子が入内後に道兼さんと時姫と三郎が縁側=端近で語らうシーン。それもドラマで一つの画面に納まってもらう都合だと思われるけど、こういう家族のメンバー同士、道兼と三郎が会話するのはありとして、女性である時姫はこういう正妻なら北の対の深窓に居を構え、家の中での会話も従者に文を託し、家族でも顔は絶対に見せないものだったと思います……でもドラマで顔を出さないとストーリーが進まないので同時に会話してた設定なのだろう。

(ついでに当時は男女の恋愛もまずお互いに文を交わすところから始まったような…)

参考資料:こういう当時の習慣は、この漫画の最初のほうにわかりやすく出てくる。

あさきゆめみしが原作が源氏物語で読みにくいって人にはこっちを勧める。

※ただしこの漫画、長い、そして面白いので途中で止まらなくなること必至なため要注意。

 

その時の時姫のセリフ:

「詮子は大切にしていただけておるのじゃな」うんうん。しかし入内した娘はもう名前を敬称略で言ってはいけない気がするんだが?

(父上(兼家)と兄上(道隆)は何を話されているのでしょう、なぜ私は呼ばれないのでしょう、という道兼の問いに対して)時姫は「道隆は妻も子もあり一人前じゃ」そうそう。

「して道兼。そなたにもよい妻をみつけてやらねばのう。どなたか意中の姫はおらぬのか?」

そういや道兼は、最初の家族全員の登場時にも父兼家に向かって(嫡男道隆に対抗して)「わたくしも良い妻と家庭をもって出世しとうございます」のようなことを述べていた。

 

当時は通い婚であり婿取り婚だった、つまり妻の家に通い、出世となれば妻の実家の地位と財力次第になってくる。男性貴族は自分自身の官位にもよるが、妻の実家の後ろ盾が大きい。自分が出世できるかどうかは妻の実家の影響を考えなければならない。

また、当時の貴族の権力争いはつまり兄弟間の出世争いでもあり、兼家が道隆を嫡男として目をかけ、「時流を読め」と密談を繰り返しているのはわかるけどだからといって道兼まで父に出世の都合を直談判してどうする?

道兼、自分の出世は自分で掴むんだ。結婚相手こそ最大のキーを握るんだぞ。

まだ結婚してないからって矢とか、三郎とか従者に当たり散らしてる場合ではないぞ。

家族の間とはいえ手の内をさらしてどうするんだ。

父兼家がここまで出世したのは、時姫の実家の権勢もあるかもしれないがそれまでに表では言えないようなことをしてきたからこそだし。表で言えないけど、それは下記に述べるところの河原の散楽の場面で、民衆から風刺というかはっきりと名指しで揶揄されている。

詮子の前に、すでに兼家は同じく時姫の娘である超子を冷泉帝へ入内させる(後の三条天皇となる皇子を産む)などの手を打ってあるし(ドラマには登場しないけど)。盤石といっていい兼家の出世競争の布陣にぬかりはない。

出世競争って?娘を入内させて生まれた皇子が天皇となり、自分が宮廷での外戚つまり摂政となって権力を握る事?それって男性貴族自身の実力と関係なくない?

当時の宮廷がそういうシステムだったのでしょうがないな。

 

ほかにも表では言えないようなことを次々となさる兼家様ですが…

おっとここでのちの花山天皇となる親王が登場されました。為時が漢文指南役として就任するようです。碌も個人的に兼家が出すらしい(そこは事実かどうかは知らない)。これで雨漏りの家とも訣別できましたね、指南役は前途多難のようですがここが踏ん張りどころですがんばってください為時さん。

それはともかく兼家が今後(裏で糸を引いて)何をしでかすかはドラマの前半のみどころのひとつです。

 

舞台が平安時代

源氏物語を彷彿とさせる、めくるめく華麗な宮廷絵巻。

豪華絢爛な女房装束と華やかな管弦の宴に雅な和歌を交わして……

ドラマを見るまではそういう平安貴族の優雅な物語を夢見てましたが、そうだったこれは大河ドラマだったし宮廷は権力闘争の場で密約、暗殺、謀略が飛び交う駆け引きの場だったことを思い出した。物語の主人公は後に宮廷に出仕する紫式部であり、源氏物語が脚本の基ではない。

そうそう、そうでした、そうこなくっちゃね。

 

 

幼少期の紫式部=まひろと、11歳当時の藤原道長=三郎

飼っていた小鳥が逃げてしまい、近くの川まで探しにきたまひろと三郎が出会う場面。

この設定はドラマオリジナル、史実にはそんな記述はないというか両者ともそんな幼少期の記録はどこにも残ってない(はず)。

それよりもこのドラマ、フィクション部分にちゃっかり有名なシーンを投影してきてますね。この話題はさんざんTwitterで見かけましたが念のためここでも触れる。

源氏物語の第5帖、若紫の冒頭にある、北山の僧都のところに病の祈祷をしにきた光源氏がとある高貴な人(兵部卿宮)の屋敷を小柴垣から偶然垣間見て、当時10歳ごろの紫の上を見初めるくだり』

光源氏と若紫を三郎=道長とまひろさんに見立てて、忠実に再現している。

ただドラマでは垣間見ではなく、がっつり直接会話してますが。

 

以下、ちょっと長いけど、若紫の帖の冒頭の原文の引用ーーー

日もいと長きにつれづれなれば、夕暮れのいたう霞みたるに紛れて、かの小柴垣のもとに立ち出で給ふ。人々は返し給ひて、惟光の朝臣とのぞき給へば、ただこの西面にしも、持仏据ゑ奉りて行ふ、尼なりけり。
簾少し上げて、花奉るめり、中の柱によりゐて、脇息の上に経を置きて、いとなやましげに読みゐたる尼君、ただ人と見えず。

四十余ばかりにて、いと白うあてに痩せたれど、つらつきふくらかに、まみの程、髪の美しげにそがれたる末も、なかなか長きよりもこよなう今めかしきものかなと、あはれに見給ふ。

清げなるおとな二人ばかり、さては童べぞ出で入り遊ぶ。

中に十ばかりにやあらむと見えて、白き衣、山吹などのなれたる着て、走り来たる女子、あまた見えつる子どもに似るべうもあらず、いみじく生ひ先見えてうつくしげなるかたちなり。
髪は扇をひろげたるやうにゆらゆらとして、顔はいと赤くすりなして立てり。

「何事ぞや。童べと腹立ち給へるか。」

とて、尼君の見上げたるに、少しおぼえたるところあれば、子なめりと見給ふ。

「雀の子を犬君が逃がしつる。伏籠のうちに籠めたりつるものを。」

とて、いと口惜しと思へり。このゐたる大人、

「例の、心なしの、かかるわざをしてさいなまるるこそ、いと心づきなけれ。いづ方へかまかりぬる。いとをかしうやうやうなりつるものを。烏などもこそ見つくれ。」

とて立ちて行く。

髪ゆるるかにいと長く、めやすき人なめり。

少納言の乳母とぞ人言ふめるは、この子の後ろ見なるべし。

尼君、

「いで、あな幼や。言ふかひなうものし給ふかな。おのがかく今日明日におぼゆる命をば、何とも思したらで、雀慕ひ給ふほどよ。罪得ることぞと常に聞こゆるを、心憂く。」

とて、

「こちや。」

と言へばついゐたり。

つらつきいとらうたげにて、眉のわたりうちけぶり、いはけなくかいやりたる額つき、髪ざし、いみじううつくし。

ねびゆかむさまゆかしき人かなと目とまり給ふ。

さるは、限りなう心を尽くし聞こゆる人に、いとよう似奉れるが、まもらるるなりけりと思ふにも、涙ぞ落つる。

尼君、髪をかきなでつつ、

「けづることをうるさがり給へど、をかしの御髪や。いとはかなうものし給ふこそ、あはれにうしろめたけれ。かばかりになれば、いとかからぬ人もあるものを。故姫君は、十ばかりにて殿に後れ給ひしほど、いみじうものは思ひ知り給へりしぞかし。ただ今おのれ見捨て奉らば、いかで世におはせむとすらむ。」

とて、いみじく泣くを見給ふも、すずろに悲し。

幼心地にも、さすがにうちまもりて、伏し目になりてうつぶしたるに、こぼれかかりたる髪、つやつやとめでたう見ゆ。

  生ひ立たむありかも知らぬ若草を おくらす露ぞ消えむそらなき

またゐたる大人、「げに。」とうち泣きて、

  初草の生ひゆく末も知らぬ間に いかでか露の消えむとすらむ

と聞こゆるほどに、僧都あなたより来て、

「こなたはあらはにや侍らむ。今日しも端におはしましけるかな。この上の聖の方に、源氏の中将の、瘧病みまじなひにものし給ひけるを、ただ今なむ聞きつけ侍る。
いみじう忍び給ひければ、知り侍らで、ここに侍りながら、御とぶらひにもまうでざりける。」

とのたまへば、

「あないみじや。いとあやしきさまを、人や見つらむ。」

とて、簾下ろしつ。

 

この引用の水色の部分にそっくりなシーンです。

えさをやり巣をきれいにして大切に世話していた小鳥、それがふとした拍子に(自分でか他人のしたことかはともかく)かごから逃げてしまい、目を赤くはらして憂いている様子、黒く豊かに肩にかかる振り分け髪、泣いてるところをを慰められるさま……

たぶんここ見てる人の脳裏にいっせいにこの台詞が流れたことと思われる。じゃあもう一回。

「雀の子を犬君が逃がしつる。伏籠のうちに籠めたりつるものを。」

 

ここが引用されるとなると、この先登場されるであろう清少納言先輩と中宮定子様による例のやりとりも絶対出てくるだろう。きっとそうにちがいない。そのときに備えて引用コピペも準備しとこう。これでばっちりだ。

 

さてここで、聡明な紫の上の幼少期になぞらえて描かれている、主人公の紫式部、まひろさん。この(仮名の)本名がどうにも令和の現代ぽいが、女性は通常は本名などなかったかあっても記録に残ってないのでしょうがないです。

 

さてここでいきなり漢文の「蒙求」から冒頭の句をスラスラ書き始めるまひろさん。

王戎簡要(おうじゅうかんよう)……『蒙求』の冒頭よ♬ 続きを書いて?」 

(この子役の子がすごい、長くて難しいセリフを述べながらのシーンの中にこの漢文、字も暗記してないとスラスラ書けない。大人でも難しい。すごい。)

そしてまひろの博識ぶりに舌を巻き、しどろもどろになる三郎。

「おっ……俺は貴族の子ではないから、名前が書ければいいんだ」

三郎、それでいいんか?貴族のプライドとかないんですか?姉との会話でも、おれは勉強はできないしとか堂々と語ってますが。

ここで出てくるお菓子は当時どういうものが食べられていたのかという深堀りは省略します。そういう食文化にも興味をそそられますがきりがなくなるので。

ただ、今も昔も砂糖は貴重なぜいたく品であり、というか菓子=餅だったのかなあ、砂糖は使ってたのかなあ?とにかく貴族の三郎だからこそ手に入れられたものには違いなく、まひろが目を見開いて驚いてるのも無理はない。そんなのまひろは生まれて初めて口にしたことでしょう。

ここでまひろが最初は身分を騙って帝の血を引いてる姫だとかのたまいますが、裏表のない単なる子供の思いつきって感じでかわいいです。今でいうお姫様になりたいプリンセス願望ってところでしょうか。たぶん他意はない。

(※ちなみにお雛様を飾る習慣は庶民の間にはこの時代まだなく、川に紙で作った人形=形代を流す習慣はあったかもですけど、この頃は貴族の遊びでも貝合わせやすごろく、囲碁などが娯楽として嗜まれていた)

しかし

「帝のお手がついて身ごもり子供を産むが身分が低いため宮中を追われる」

設定がこの場の思いつきってことになってますが、そのまま源氏物語の最初の帖、桐壺の設定にそっくりですね。まひろの作り話と違う所は身ごもった子が姫か男子かの違いだけですね。

 

再三言うけど二人のここでの出会いはフィクションです。

それに河原という場所は本来、子供と言えども身分の高い貴人が従者もつれずに訪れる場所ではない。少なくとも三郎はそういう身分ではない(詳しくは省略)。

なんでドラマで出会いの場所を河原に設定したのか、フィクションなんだからこの直前の場面の市で開催されてた散楽の場面でもよかったじゃないか。

謎は深まるばかり。

 

 

通貨

冒頭の部分で母ちやはが使用人に「年末のぶん、これだけなんだけどごめんなさい」といって何か包みを渡す。給料に加え、いわゆる年末のボーナス的な何か。(しかし雨漏りなどの窮乏に耐え切れず、第一話だけでも2人使用人が暇を願い出るが)この時代まだ通貨ではお給料が支払われず、物々交換による流通形態の経済だったことを示している。

 

銭、つまり銅銭は飛鳥・奈良時代富本銭とか和同開珎などが製造され流通したが、いずれも流通期間や地域は限定的なものにとどまった。海外=朝鮮半島や中国大陸との貿易は朝貢貿易だったからつまり対外的には物々交換を続けていたことになる。

本格的に銅銭が国内で通貨として流通しだすのは、農民の生産力、一般民の経済力が底上げされる鎌倉時代以降。でも使われたのは輸入銭だった。どういうことかというと。

平安末期に平清盛が兵庫の大輪田泊(おおわだのとまり)つまり福原に港を定め、日宋貿易を始めてから以降、いわゆる宋銭が輸入され広く使われるようになる。足利義満の時代にも日明貿易により銅銭(永楽通宝)を輸入し、これは明銭と呼ばれ人気があった。戦国時代以前のアニメやドラマ(もののけ姫とか)には紐に通した100枚単位の銅銭が出て来るが、それは応仁の乱~戦国時代のことなので明銭だろう。

わが国に自前の通貨が流通しだすのは江戸時代1650年ごろ以降、寛永通宝が作られてからあとのこと。けっこう最近ですね。江戸時代も改鋳による通貨の質の悪化とそれに伴うインフレーションも多かった。

さらに円という単位で統一されるのは明治維新の後。

国際的にみると、通貨の信用度って大事だなあ。

 

こうやって振り返ると物々交換でやっていた平安中期以前は牧歌的な経済、中華帝国を中心とする朝貢貿易経済圏の東端でほそぼそと暮らしてる当時の様子が浮かび上がってくる。

それは日本が遠く太平洋に浮かぶ島国で大陸と軍事的、経済的に隔絶された立地だったからという点も看過できない。大陸の国は民族もろとも滅亡の危機に絶えずさらされていたので必死で外交努力もするし自国の生産性=国力を上げようとして、生き残りのために死力を尽くしていた。遣唐使平安時代になってから中止したという事実が日本の意識というか立場を客観的に物語っている。外交という意味では日本は周辺国と同様、一瞬たりとも大陸の動きから目を離したことはないはずだが、事実は事実と認識していてもいまいち国家としてどう動くかという視点の人がいなかったのだろうか。

 

 

ロケ地

冒頭の陰陽寮

京都の平安神宮での朱塗りの建物を背景に、新たに屋根のないものを新しく組んだのでしょうか。平安神宮は今後、番組予告にもある舞を踊る舞台としても登場するようです。朱塗りの大極殿などが並ぶ、大内裏を今に再現した平安神宮は貴族の政治の場を映し出す背景としてこれ以上ない場所でしょう。

 

散楽と市、チマタと辻

三郎がまひろに出会うきっかけとなる外出、市への散楽の見物。

本来大納言家の子息である三郎が行く場所ではないけど元服前の気楽な身分だからなんでもありである。ここの部分全部がフィクションである。

まひろはもっと身分が低いので上記と同様。

この市で行われていた散楽とは一種の芸能だ。

日本の奈良時代に大陸から移入された、物真似や軽業・曲芸、奇術、幻術、人形まわし、踊りなど、娯楽的要素の濃い芸能の総称。

引用:散楽 - Wikipedia

起源は西域。つまり今のシリアからイラン、中央アジアからタクラマカン砂漠あたりをシルクロードを経由して古代に中国へ伝わったらしい。つまり中国での宮廷芸能である雅楽に対して、庶民の芸能という意味で散楽と呼ばれたそうだ。

中国に西域から伝わった奇術、幻術……

それって唐の都長安で大流行りした幻人を指すのでは??

ちょうど唐の時代にイランではササン朝ペルシアが崩壊し、多数の文化人が亡命してきた。後ろ向きに馬上からの騎射の構えを描くいわゆるパルティアンショットもこの時期、工芸品の紋様として伝えられた。ほかにも宗教(ネストリウス派キリスト教景教イスラム教=回教・清真教)や様々な文物がこの時期イランから往来したが、その中に幻人も含まれていたと考えられる。

幻人は古く漢書西域伝の條支(シリア)の項に登場する。史記にも登場したかも。燃えあがる炎や刀を飲み込んだり蛇を操ったりと、路上で奇術を操り大衆の見物するところで芸を披露したという。

それが唐に伝わり、イラン伝来のガラス器や西方の葡萄などの果物とともに異国情緒を伝える芸能として、幻術は長安の都で見物することができた。当時の長安イスラム帝国バグダードと共に人口百万人を超える大都市で文字通り世界の文化の中心の一端を担っていたことから、当時遣唐使としてやってきた日本の官僚がほかの文化と共にこれらの芸能を持ち帰り伝えたと考えられる。

その後日本では猿楽、そして能楽へと姿を変えて後世へと伝えられた。

 

さてこのドラマで散楽と称して上演されていたのは一種のアクロバットショー、サーカスみたいなものだろうか?それにストーリーが付加されている。

このアクロバットショーの演出がすごい。タイトルロールにアクロバット指南とあったけど何かと思ったらこれに違いない。

さてストーリーは、三郎の従者の百舌彦の予想した通り藤原氏の専横を揶揄した寸劇仕立てになっていた。コウメイ(=源高明)が兼太以下の三兄弟に倒されるがその後、三兄弟に憑依して呪いをかけ……って筋書きだ。

つまり源高明が倒されるというのは安和の変を指すのでは?たぶん。

資料:安和の変 - Wikipedia

藤原三兄弟がここで誰を指すのかは省略するとして、この安和の変自体に兼家は関与してないにしても藤原氏以外の源性を排除するという意味で間接的に利益にはあずかっているだろう。

この政変ひとつみても、誰が先に自分の娘を入内させるか、誰の娘が先に皇子を産むか、それに政治の流れがかかっていたことがよくわかる。

……そういうのほんと嫌になりますよね ( ꐦꐦ◜ω◝ )

あ、すいません。

こういう寸劇がアクロバットショーつまり散楽として上演されていたのは、今でいうワイドショーとか週刊誌のゴシップ記事の類と本質的には変わらない。

つまり我々一般庶民は千年経っても同じ娯楽を求めてるってことだ。

内容はなんでもいい、倫理も節度もいらない、流行りの話題で面白けりゃいいんだ。

・・・ほんと嫌になりますよね ( ꐦꐦ◜ω◝ )(3回目)

 

こういう散楽が上演されたのはドラマでは市の一角。

市とは庶民が交易に集う場所。まだ貨幣経済でなく庶民の間では物々交換だったことから、市には各地の物産が集積しそれを求めて庶民が集まった。

こうした市は普段の生活の場とは一線を画したハレの空間と考える。そこでは役所の役人からのお触れが高札に書かれて掲げられ、また処刑が行われていた場所でもあっただろう。処刑はまた河原でも行われた。そういう意味で河原は身分の高い人が(公に)行く場所ではないということから、上記の三郎とまひろの出会いの場所が河原だったのはなんでなのかと書いた。

 

市が立つ場所はこのドラマでは京の都だから官設の市つまり平安京に設置された市を指すのだろう。右京は早くから廃れたはずで、公卿の屋敷もほぼ左京に集まっている。つまりここに登場する市は東の市と思われる。

では官設のもの以外に市が立つ場所とはどういうところだろう。

物産の集散地にして市が開かれる所、役所からのお触れが高札で立つ、処刑(=見世物)が行われるところ、それは地元住民が行きかう所、つまり交差点だ。街道が交差する場所ともいう。それをチマタと呼ぶ。

古くは奈良の平城京に軽のチマタがあり(今の樫原市)、また山辺の道沿いに海石榴市(今の桜井市)も立っていた。

京の都に建てられた市は官営であり、それよりずっと前から人々の営みの中で、普段の空間(ケ)に対して市つまりハレの空間が存在していたということだ。

それを前提にドラマに登場する市をよく見ると、座っている物乞いあり、また色々な店が軒を連ねている。三郎の従者の百舌彦はここで(同じ身分の)恋人を見つけたようだ。

 

一般民衆が登場する場面はこれからも折に触れてあるはずなので、どういう描かれ方をするのかよく見てみたい。

 

 

衣装とその紋様もみどころのひとつだと思うが、あと寝殿造りのセットも真に迫ってて凄いのだけど長くなるので次回の感想に書く。

 

取り急ぎ1話の感想はここまで。

1話の衝撃のラストはここでは書かない。

歴史の間隙にフィクションを織り込むとはいうもののそこまでやるかという徹底ぶりで、今度こそ源氏物語の世界を夢見てドラマを見始めた人たちを奈落の底へ突き落したなと思った。本気で貴族の権力争いを描くつもりだな、やるならとことんやってください。