歴史と本マニアのための部屋

歴史、政治、本、あと吹奏楽関連のつぶやきです

第7話「おかしきことこそ」 大河ドラマのlightな感想 光る君へ

 

目次:クリックで各項目へ飛べます

 

 

 

「続・おかしきことこそめでたけれ」

まひろは直秀から指導を受けて(?)、散楽の構成に関わることになる。

散楽の練習にも立ち会うまひろ。

いいですか、これはフィクションですからね?

これを真に受けてあんな奴らと関わってたんじゃもう姫様は嫁に行けないとか悲観的になることはありません。左大臣家の倫子様ともなればこういうのはスキャンダルでしょうが、まひろの地位では都の噂になることはないだろう。

たぶん。

 

言葉の通じない人民にも共通して伝わる演出は何なのか。

誰にも受け入れられる笑いとはどういうものなのか。

そういう演出家としての手腕を問われる……まではいかないけど、ここで物語作家としての土壌が培われたのだろうか…?源氏物語は文学作品ではあるが54帖にわたる物語が印刷もない時代、写本によってつまり発掘品ではなく伝世によって代々読み継がれてきた作品であることを考えると、そこには文学としての価値と共にエンタメ性があったと考える。

ほんとうの芸術は作者が死してから評価されるものだと言われるけど自分はそうは考えない。紫式部日記にすでに宮中での出来事として源氏物語の内容に話題をとったものとみられる会話がでてくるし、当時から宮中で話題であり、というか話題になったからこそ紫式部に宮中への女房としての出仕話が舞い込むのであるから。

言葉によらない笑いの本質のようなものをまひろはこの散楽という民衆芸能から本能的に肌で感じ取り、のちの作品に無意識に生かしていたのでは?

文学性とエンタメを両立している作品、源氏物語

 

路上で上演される芸能である散楽は、現代で言うところのワイドショー。

とすると、当時執筆するそばから人気を呼び宮中の話題をさらった源氏物語は、次の展開が気になる雑誌の連載というか、写本を通じて広く回し読みされていたところからも、要するに源氏物語人気の連ドラという立ち位置かなあと思う。

 

まひろの演出したワイドショー、もとい散楽の寸劇はチマタの話題をさらっていて大成功だったし、手腕は評価されてしかるべきでは。だって大評判すぎて右大臣家までその噂(つまり右大臣家にとっての悪評)が伝わったくらいですからね、大盛況です。

源氏物語は今後まひろが体験することになる人生の悲哀を織り込み、「もののあはれ」つまりしみじみとした情緒や趣をあらわした文学と評されることになるが、稀代のストーリーテラーとしての手腕はこの頃既に断片的にでも芽生えていたというところが描かれていると思う。

登場人物500人といえばトルストイの大作「戦争と平和」に肩を並べる規模。そのような才能が一朝一夕に大成するものではない。為時のつぶやき「そなたが男であったらのう…」というのは単に出世できるかどうかという点を超えてまひろの本質をよくわかっていたというべきか。(だからといって出版社の編集みたいに父がまひろをプロデュースするには時代が文字通り1000年は早すぎた)

 

 

いつの時代も出世する人がよい人とは限らない

にこにことした顔で優しく道兼の身を思いやる道隆。

伝家の宝刀、呪詛を引き合いに出して堂々と兼家と渡り合う安部晴明。

うわべの印象は逆な2人だが、結局相手の立場が弱い事を引き合いに出して弱みを掴んでいることに変わりはない気がする。

安部晴明が正面切って啖呵を切るさまも、なかなかたじろぐものがあるけど、優しい人の顔をしている道隆のほうが正体がなかばうっすらと分かってるだけにうすら寒いものを感じて怖い。

 

そうはいっても怖い安部晴明(しかもあのやり取りを楽しいとのたまう)に脅迫されて、愛人の藤原道綱母に優しくなだめられている兼家。その情けない有様を見ると、あの人の道を踏み外した外道(←ほめてない)にも人並みの心というものがあったのかと、ふと身近に感じたりする。いいえ絶対にあんな奴に同情とかしませんけど。

 

悲嘆にくれる花山天皇ですが、この展開は史実にも残っているので今更ここでは述べない。寵愛していた女御様の死が前回のラストで描かれた以上、これからの展開もわかっている。ドラマの登場人物もみなそれを知っているので、もはや花山天皇のそばには誰も侍っていない。

政治の流れを読む能力0の藤原為時は何の気の迷いか、間者としての、花山天皇の漢文指南役を辞退したいと兼家にみずから申し出る。

どうしたんですか血迷ったんですか為時さん!??

いいえこれが為時の地の性格でしたね…!

視聴者としてなんの安心もできないこのキャラ…!スリル満点です…!(ほめてない)

それを聞いた藤原宣孝は血相変えて為時をたしなめる、いや、もはや頭ごなしに叱責している。もう手遅れになってはまずいではないかともの凄い剣幕である。

当たり前である、ドラマの第一回から右大臣家の兼家と近しくなっておけと宣孝が助言し、天皇が春宮であった時代から長年漢文指南役を地道に続けたおかげで今の官位があるのに、後ろ盾の勢力がない花山天皇の将来が危うい今、なんで今の地位を自ら棒に振るも同然の失態を犯したのか!???

うんうん視聴者として、宣孝さんに非常に同情します。その心労、想像に余りあるものがある。いつか胃潰瘍で倒れないだろうか、心配でしかない。

そこに火に油を注ぐがごとく、為時に賛同するまひろ。

「(今の春宮が即位された時官職を解かれる事になっても)父上の御判断は正しかったと私も思います!」

もう宣孝の常識人としての忠告にも耳を貸さない、政治が読めない親子。あの、ここにもうひとりの常識人、まひろの弟の惟規くんはいらっしゃらないのでしょうか。誰かこの親子にツッコミを……

とそこにあらぬ方向から横槍が入った。主君である為時の背後から使用人が現れる謎の展開ではあるが、というか主人たちの会話に使用人が意見するという意味でも謎だが、とにかく乳母からでさえ異論が唱えられている。使用人が次々と辞めていき、どん底を味わった時期でも辞めなかった古参の乳母でさえあの時代には戻りたくないという。

しかし、乳母の決死の訴えもむなしく、運命の歯車は無常にも回っていくのであった…

 

 

宮中で行われていた遊戯

投壺

さてそんな妹の女御様を若くして亡くした斉信であるが、「出世に陰りが出るぞ」とからかう公任様が貴族にしては下品なのはいうまでもなく、道長もそれなりに持論を述べている。円融天皇の女御であった姉詮子の悲嘆にくれる様を身近に見ているせいか、

「入内は決して女子を幸せにはしない」

道長は述べる。

………さあここで、皆さまご一緒に。

それを君が言うか!!???

道長こそ、子女を次々に入内させ、摂関政治の栄華を謳歌した代表的な人物なのに、その台詞はどうしたことですか・・・?なんかの伏線か、演出か・・・?

ここまでは道長は、右大臣家の向かう政略の方向に意義は唱えず、苦虫を嚙み潰したようにしながらも無言で従ってはいるが、根はいい人のように見える。

いやいやいや……

人は見かけによらぬもの。騙されてはいけない。

 

ではなく、ここで公達らが興じている遊びというか矢が投げ込まれている壺はこれである。例として正倉院に遺っているものを挙げる。

 

投壺[とうこ](投げ矢の壺)
銅製、鍍金(ときん)の壺。下膨れの胴、両耳を付けた長い頸(くび)が特徴的。外面に線刻で唐草文や花、鳥、瑞雲、獅子などの様々な文様(もんよう)を表している。
投壺(とうこ)は古代中国において宴席の余興として行われたゲームで、離れた場所から壺に向かって矢を投げ入れ、その優劣を競ったという。

引用サイト:https://www.narahaku.go.jp/exhibition/special/201310_shoso/

この壺は宋の官窯である龍泉で青磁のものが作られたり(要するに平安時代に)、形を変えて東アジアで現代に伝えられ親しまれている遊戯である。当然、彼ら貴族が用いている壺もおそらくは唐の国から舶来のものという設定だろう。古くは古代中国の春秋左氏伝に見える古い歴史を持つ。

という由緒をもつものではあるが、傍からみて矢がうまく入っているとはお世辞にも言えず、やってて当人たちが楽しそうかというと微妙ではある。

これなら当時流行りの、今回登場していた藤原実資の妻が興じていたすごろくや、また囲碁などのほうがルールもゲームの展開からいっても盛り上がって秀逸なような……?

囲碁がこのあと1000年を超えて親しまれている遊戯なのも、うなずけるというもの(単なる視聴者としての主観)。

 

打毬(だきゅう)(=ポロ)

この打毬も歴史としては古く、紀元前6世紀のペルシャを起源とする。なので春秋時代がはじまりとされる投壺とそう歴史の古さは変わらない。そういう古代の遊びを回顧する話なのかな、今回は。

(引用サイト:打毬 - Wikipedia )

狩りに用いるような鹿の毛皮を袴に用いたところも麗しい公達ぶりの面々。何やってもイケメンな彼ら。日頃屋敷の深窓から出る事のない姫君たちがこぞって見物に出かけたがるのも納得の凛々しい姿。

しかしここで、突如行成の不参加が従者により告げられる。日取りの吉凶はあらかじめ占いに拠って決められるから、体調不良というのは本当のようだ。

しかし参加者がいないとゲームにならない。

そこで道長が咄嗟に思いつくのが「じつは最近発見された弟」という触れ込みの、直秀なのだが。彼なら散楽をやってて身体能力も申し分なし、競技にも戦力になってくれるだろう。

それに父兼家は音に聞こえた艶聞家であり、ここで突然隠し子がもう一人見つかったところで誰も不思議に思わないようである、そりゃ蜻蛉日記みたいなのも書かれてもおかしくないですね兼家さん……しかもあれは世に広く知られているらしいのに兼家自体が気に留めてないあたり、やはりまひろの解釈でいうところの「道綱母の自慢話」という見方はあながち間違ってないのかもしれない。

でもここで皆さん思い出してあげてください?

道長には直秀なんて弟をでっちあげなくても、ちゃんと兄弟がいるでしょ?

ほら道綱っていう兄が。

本気で忘れられてるようですね?あまりにも不憫では?事実そういう存在であったようですけど……それに道兼もいるでしょ?どうなってるんでしょう?

 

あと姫君たちの席が屋根を掛けただけの御簾もなく、姫君の姿は見物の庶民からも見える位置でどうなのっていうところはある。

屋根は、奈良時代から伝わる唐由来の配色という感じでちゃんと取材されてるな?という感じはするけど。

この女子群像にみられるスカートみたいな色ですね。

undefined

(引用:高松塚古墳 - Wikipedia )

 

そういう点を除けば、野外に出かけることが生涯でも数少ない機会であった姫君たちの盛り上がりぶりは痛いほどわかるので、まひろは何をこだわって行かないというのか?と言われても仕方ないだろう。そこに道長が出るから戸惑っているという意味だと思うが。

ほかに姫君が外に出かける機会といえば、葵祭の見物とか、寺社の参詣とか(石山寺とか長谷寺へ)、そのくらいのものである。ほかは自分の邸で催される季節の宴を御簾越しに見物し、招待された公達をほのかに様子をうかがうという程度のものだっただろう。

さてここでは公達の表の顔としての打毬を視聴者様にお楽しみいただき……

 

あっ道長様を陰から拝見してひそかにときめく倫子様が描かれてますね?そうそう平安貴族の恋の始まりとはこういうちょっとしたきっかけですよね?ただ姫君たちの前に御簾がない(あるけど下ろされてない。なぜ?)だけで。

まひろさんは徒歩でここにおいでるような身分ですし(ふつうは姫君は牛車に乗る)、だいたい檜扇を忘れてますし(アイテムとしてそもそも所持してない説)、衣装が一人だけ段違いに質素ですし(しょうがない)、場違いではある。

 

そんな表のアナウンスよりこの場面のメインは、競技のあと大雨により着替えることになった公達たちによる姫君評だろうか。

ドラマのストーリーはともかく、当時の貴族の女性観とか結婚観とかの一般論は全部この場面の台詞に集約されてるので、他の登場人物が気の迷いで色々言ったとしても、ドラマの方向性は全部ここで言われるビジョンによって進むと思えば間違いないだろう。

ここに出てくる公達たちの台詞を偶然まひろが聴いてしまうのですが。

 

彼らはみな道長と同様な家柄、身分なので、まひろとは恋愛関係にはなっても正妻扱いにはならないのは記事の最初ですでに述べた。なのでまひろがここで何かに期待して聴いてるのがすでに僭越なことだし、彼ら公達のいうことは当時の身分制度上、もっともなことなのだ。

結婚は彼らの身分になるとすべて政略結婚であり、恋愛をそこに持ち込むことがそもそもの間違い(by公任様)。

道長が前回のラストでまひろに伊勢物語の歌に擬して熱烈な和歌を文に書いて贈っているが、まひろはそれは幻想であったに過ぎなかったのだと現実を悟る。

この頃10代後半であったと思われるまひろには、この恋は現実であったとしても、儚い初恋の記憶としてその後記憶の底に残るのだろう。

それから人生において様々な経験を経て源氏物語を執筆し始めるまひろ。

光源氏とか言う主人公は全知万能の神みたいな描かれ方で現実味がないが、脇役も含めて登場人物にはいやに人間味がある人たちが多い。

それらの人たちは、この決して裕福ではなかった時代を含めての経験や見聞が存分に創作に活かされていると思う。

史実の描写ではなくても、散楽の構成にスタッフとして加わる様は、そういった目に見えない部分を補っているのではないか。