歴史と本マニアのための部屋

歴史、政治、本、あと吹奏楽関連のつぶやきです

第13話「進むべき道」 大河ドラマのlightな感想 光る君へ

 

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一条天皇の御代と中関白家の栄華

さて、ドラマの舞台は前回から4年の時を経て、990年(永祚2年)。

986年安和の変花山天皇を謀略に陥れて譲位させ、7歳になる孫の一条天皇を即位させて、摂政の座につき絶大な権力をほしいままにした藤原兼家

兼家の子息たちはいずれも飛躍的に昇進を遂げるが、嫡男の道隆は正二位内大臣となり、その家は中関白家と呼ばれて輝かしい隆盛の時代を迎える。

 

物語の時代は前回から4年とんでいるので、登場人物の年齢と官位をあらためて表にしてみた。ご覧の通り、道隆以下の中関白家のメンバー(太字)は誰もが一足飛びに昇進をはたしている。

伊周なんて16歳にして正四位頭中将である。この官位は貴族の子息の最高の出世ルート。選りすぐりのエリートってことだ。

(それに頭中将は花山帝時代の藤原実資さまと同じではないか)

道長も、正三位中納言と悪くない扱いである)

兼家の子息らに比べると、関白だった父頼忠を亡くした公任(下の表の太字)などは、以前までは出世頭の有能なエリートであったが、父という後ろ盾を失い昇進には陰りが見えるありさま。公任はドラマの中で道兼(正二位)におもねって目をかけてもらう算段をつけている。(その他の公達らも同様に昇進ははかばかしくない様子である)

 

 

道隆の正室貴子は学才のある知識人を輩出していた高階氏の家系で、その薫陶を受けたためか、貴子いわく「伊周は漢詩も和歌も、笛も弓も、誰よりも秀でていますものね」と、非常に高い教養があったようだ。16歳にして頭中将という出世頭であり文才に秀でていて、また音楽も嗜み武勇にも長けていたということだろうか。

伊周の衣装は地模様に葡萄唐草文を配し、その上に濃い紅の上品な色で鳳凰の紋様が浮き彫りのように織り出されている。葡萄唐草文も鳳凰も由緒正しい唐由来の正統派で高貴な標題であり、この点でも若き貴族のエリートぶりがうかがえる。

 

登場人物の衣装ひとつ取っても中関白家の未来は洋々たるものである。

その輝きはまばゆいばかり。

そして、定子もまた今後、豊かな学識をもって入内後に知識人のサロンを築く。

 

 

まひろの身の振り方と識字率の矛盾

ところ変わってあいかわらず質素なしつらえの為時邸。まひろも為時も惟規の乳母のいとも、紋様とて無い麻地の衣装のまま、文字通り着の身着のままに等しい窮乏振り。

かろうじてまひろが幼かった頃の雨漏りだけは回避できているようであるが。

もう一度言う。

986年から10年は為時は無位無官である。ドラマのこの時点で990年、あと6年このまま。もう気が遠くなってくる……だれか為時邸に、生活に苦労しないだけの衣食住のほどこしを……どうかお恵みを……

さて今日もやって来た宣孝おじさんである。身なりが当時で言う僧正のコスプレ?派手な袈裟ふうの衣装で、物見遊山がてら御嶽詣でに行ったらしい。

いわゆる今回の第13話におけるピエロみたいな感じ?

御嶽詣でというのは大和国吉野の里、金峰山に詣でることをさす。

京の都の貴族にとって、吉野は身近なレジャースポットといったところか。当時の貴族には、寺社参詣が唯一の外出理由であり、外出すること自体が旅だった。紫式部ゆかりの琵琶湖畔の石山寺も風光明媚なロケーションが貴族にウケていたらしいし。

その他大和の国にある長谷寺室生寺などと併せて、吉野山金峰山は今も昔も有名山岳リゾート地なのだ。とくに吉野の桜は古く和歌にも多く詠まれている。また、鎌倉時代を経て南北朝時代南朝は吉野に本拠を置いた。

山岳リゾート、いわゆる軽井沢。ドイツ人にとってのガルミッシュ=パルテンキルヘンチェコ人にとってのチェスケー・ブジェヨビツェ。

何言ってるのか分かんなくなってきたので次行こう。

 

そんな息詰まるような暮らしを見かねて、宣孝おじさんは次のまひろの婿を探そうと提案するもまひろは断固拒否する。

いいんですか、史実でもあと六年は少なくともこの暮らしが続くのに?

まひろは20才を迎え、少女だった頃の軽装から落ち着いた大人の女性の袿へと、色合いも爽やかな若草色でぐっと垢抜けた装いだ。

要するに結婚適齢期。(てかもう当時では行き遅れの年……おっと誰か来たようだ)

この御嶽詣も、宣孝おじさんの暮らしぶりだからこそ行けたのであって、為時邸の財力では明日食べる魚を買う予算さえない。

 

明日食べる魚………

まさに、まひろはさわと共に市へ買い出しに行っている。市への買い出しなんて下女の仕事である。このような場所に出入りすること自体が貴族にとってはスキャンダルだと思うが、まひろは背に腹は代えられない。というか、さわは単なる巻き添えを食らったに過ぎない。

案の定、市は犯罪者が獲物を狙って跋扈する無法地帯でもあった。だから、画面の視界に入らなかったけどたぶん物乞いとか放浪者もいただろうし。

そこで人買いに遭遇するまひろたち。

子供は古今東西、高値で奴隷商人に売れる商品だったのだろう。子供という概念ができたのが近代であり、それまでは子供は小さな労働者に過ぎなかったのだし。

安寿と厨子王とかの昔話もありますよね。奴隷商人は何も大航海時代の黒人奴隷相手だけの専売特許ではない。古くはエジプトや古代ギリシャ、ローマといった国家でも奴隷は売買されたしそれは古代インドや中国でも同じであった。

つまり奴隷とは彼ら自身に人権はなく、親子関係を無視して身柄を売り買いできる個人の資産であった。しかしまひろは彼ら一般民衆とその下の階層の人たちを見て識字率の低さ、そして教養の大切さを痛感したようだ。

字さえ読めれば、書ければ。

この民衆の識字率向上というのは歴史上、常に国の行方を左右した重要なファクターだ。この時代の女性の識字率というのはあくまで(下級も含めて)貴族の女性という意味に限られ、その波及効果は宮廷文化と貴族の邸、そこに出仕する女官としての女房文化であった。つまり担い手は貴族の域を出ない。

貴族は当時生活に和歌を取り入れ、季節の挨拶から恋愛の文まで自由に詠み、またそれは政治のやり取りでも使われた。

ただ古今の著作に通暁し、仮名から漢字まで、和歌に日記文学漢籍まで自在に操るまひろのほうが、ほんとは少数派だったんだろうけど。そこまでのインテリジェンスを備えた女性は、特に漢文に通じている女性は稀有な存在ではあったようだ。
(同時代のヨーロッパでは貴族でも読み書きできる人はほぼ居なかったことを考えると、日本の平安時代は貴族限定ではあるが識字率が高かったといえるだろう)

 

識字率

当時の仮名文化と和歌はあくまで貴族社会がベースであり、それ以外の階級を題材にはしなかったし読者としても想定しなかった。貴族の視界にはあくまで貴族しかいない。

 

ここに登場する人買いは当時いくらでもいただろうし、貧民の子供が奴隷として売られていく光景も日常的にありふれた光景だっただろう。市の風景に登場しないだけで、路上の物乞いもたくさんいたことだろう。

ただ彼らが貴族文化に登場しないだけのことである。

ほんとうに町人、村人レベルまで文字が普及するのは少なくとも近世つまり江戸時代、武士階級が身分として固定され、人口の一角を膨大な数の武士が占めるに至り、彼らに漢文古典(=儒教教育)の教養が普及するまで待たなければならない。ここで村人と書いたのはあくまで寺子屋レベルの最低限の読み書きという意味である。

国としての文化を底上げする意味で識字率が普及するにはじつにあと600年は待たなければならないのだ。

まひろが路上で文字の読み書きを実演してみたり、庶民の子供(文字が読めない)に文字を教えたりする場面は当時の社会構造からして理想ではあっただろうけど、それを貴族階級であるまひろが担当していることで時代観がブレてくるのである。

さわが、人買いにどつかれて怪我をしたまひろに「ひとりに教えたところでどうにもならない」と、真正面からど正論を言っているがその通り。

細かい年代の設定とかどうでもいい派だが、まひろのこの方針だけは明確に当時の貴族の常識から逸脱しているのでツッコミを入れてみた。

 

※ちなみに宣孝様は息子をまひろの婿にと懇願されるも言下に断っているが、なぜそこまではっきりと拒否したのだろう?その理由は今はよくわからない。

まひろが婿を取らない理由は、たぶんまだまひろの心の中に道長様が住んでいるからだと思われるけど。でも月日は過ぎ、物語はどんどん進んでいくのである。時代の流れに立ち止まるという単語はない。

まひろの中ではもう決着をつけた過去のことなのだ。

 

尾張国司が暴政により交代したくだりが、内裏の朝議にでてくる。そして道隆ら一般的な公卿が示す方向性はそんな些細なことは無視するというものであった。

道長はそこに意を唱えるが、このドラマの道長像はどこまで真実を語っているのかよくわからないのでとりあえず保留にしよう。後の彼の政治への姿勢を顧みても、どうも一貫性がないような気がするので。)

この朝議にもある通り、民衆の意を汲んで民衆のために政治をするという方針からは、当時の意識は程遠いものがある。

 

現在の政治は民主主義、主権は民衆にあり、政治は民衆のために行われている。

当時は政権は天皇(と公卿)が握っていたから主権も天皇にあると考えられるだろう。(近代絶対王政のように全国に張り巡らされた組織を基盤とした、集中した権力を握っていなかったにしても。)そして政治も彼ら貴族の為に行われているのであり、民衆の存在は顧みられてもいなかったし、荘園からの税収が上がってくる源泉としかみなされていなかったのではないか。

 

兼家の老い

ここで現在のところ断然主役を張っている、兼家こと段田安則さんの演技がまたしてもいぶし銀のように鈍い光を放つ。

老いてなおその瞳は龍のような眼光を失わない。

なんていうか、ドラマでここまでの歩みがほんの13回を数えるにすぎないがまさに波乱の人生を泳ぎ切ったかのような風格を備えている。

花山天皇が譲位するにこぎつけるまでの長い艱難辛苦の道のり。その道程において寸分も気を抜くことなく徹底した裏工作を怠らず、自分の政治信念を貫いた。

家の概念が、江戸時代以降の男系相続の儒教観念とはだいぶ違うけど、でも根底の思想には家の繁栄があることには変わりない。

道長は「長い戦いを生き抜いてこられ、父上は気が抜けてしまわれたのやもしれぬ」と推察しているが、確かに兼家は肩の荷が下りたかのように安堵の笑みを浮かべ……

 

それぞれの人生のステージでの段田安則さんの演技が、それぞれに光っているのだ。

今回のテーマは老い。人生において下り坂、大役を成し遂げて自分の役割を終えたと感じた時が、人にとってすなわち死なのかもしれない。そう思わせる、定子入内からの急激に感じられる兼家の老衰。

 

そう、人にとって死とは、後の世において忘れられた時がほんとうの死なのかもしれない。しかし兼家にとっては自分の中でもう死んでも良いと認識したときが死だった、のかもしれない。

定子入内の夜、道隆に話しかけようとして足を踏み外す。

(源明子と対面して)話していても視線が定まらず、手元が小刻みに震え、姿勢も不安定になる。話し方にもあれほど張り詰めていた覇気がすべて消えた。

明け方起きたら視界がはっきりしない(白内障緑内障?)

そして、会話の内容がかみあわず、覚えていたひとを忘れる様が、いまでいう認知症のようすを現わしているのだと思う。(※道長は『物の怪のせいだろうか』と言っているが)

これらのせりふに現れない動作や目線によって、前回までの精気隆々としたようすと打って変わって、まざまざと四年の月日の流れと兼家の止められない老いを隠すことなくえがいている。

これこそ俳優の真骨頂ではないですか?

職場が病院なので認知症の人も間近に見るし、身内にも高齢者がいるので細かいニュアンスがまさに、老いていくさまをリアルに表現されていて、すごいの一言。

前回までの兼家を演じていた同一人物の俳優さんとは思えない、変貌ぶりです。

 

さらに凄いのは。

この、自分でもはっきり感じる老いという現象に対し、いやそんな観念がなかったからこそ?これらの変化に戸惑い恐怖を感じるさま、そしてまだ自分の意識、認知能力がしっかりしているうちに次の世代への継承をしなければと思って咄嗟に安部晴明を召喚するあたりが、老いてなお、傷ついてなお斃れない龍のような雄姿を彷彿とさせる。

死を恐れて当時の人は浄土宗に頼り出家したが、しかし兼家は自分の死が見えてきて何を恐れたかというと自分の死後の世界ではなく、自分が死んだ後の家の行く末を恐れていたのだった。

その恐怖におののき一人すすり泣いているように見えるのは、しかし決して家族にもその姿を見せることはない。

 

凄い。

そしてそんな心の内を読まれたのか、安部晴明には「跡継ぎの方、それはもうお心のうちは決まっておりましょう」と見透かされていて兼家は苦虫を嚙み潰したように向こうを向く。

兼家がそのお心のうちを明かしたのは道隆ではなく道長だった。

兼家の中では後継者は間違いなく道隆であり、事実兼家の死後、実質的な政権は道隆の手に渡る。ではなぜこのとき兼家は道長に後継者の心得などということを語ったのだろう。

兼家にも見えない何か、道長にもわずかながらに何か権力の糸をつかむきっかけが、兼家のかすんだ視界に垣間見えたのだろうか。

 

兼家「民におもねるな」

 

この後のことばが名言すぎるので、詩のように綴ってみた。

守るべきは、家だ。

真のまつりごとは家の存続だ

人は皆いずれは死に付されて土に還る

されど家だけは遺る

栄光も誉も死も……

家だけは、活き続けるのだ

家のために成すこと、

それが儂のまつりごとである

 

その考えを引き継げる者こそ、儂の後継だ

 

これ、社会の仕組みが律令制から院政へ、武家社会へと変わっても、そして結婚制度も通い婚から男系相続へ遷り変っていっても、

変わらない普遍のテーマではないでしょうか。

兼家が自分の寿命が明日をも知れぬことを自覚しながら、後の世代に遺した言葉。

その覚悟が、夜の闇の中、月を思わせるほの白い光に照らされて威厳を以て迫ってくる。

後の歴史を見ても、このビジョンを鉄の意志と覚悟を以て貫いたものはのちに永く栄えることになる。徳川氏とかがいい例である。御三家、譜代大名と徳川の家系を絶やすことのないように鉄壁のシステムを敷いている。(それ以前に政治政策が盤石であったのはいわずもがな)

 

 

道長と正妻

さて、道長の正妻は二人。

左大臣家の一の姫、倫子。通称鷹司殿とよばれる、源雅信の娘。広大な土御門殿を継承し、道長もここを拠点として政治家としてのスタートを切ることになる。

そしてやっぱりお姑さんの穆子様は道長びいきである。子供時代はぼーっとしていたとかいう道長の言葉も「それは倫子を笑わそうとなさっているのよ」とさりげなく優しいフォローを入れて下さっている。

どうなのですか、土御門殿における道長への、下にも置かない丁寧な扱い。

道長は新婚夫婦としても、政治家としても、これ以上ないくらい幸せで順調な滑り出しというべきだろう。スタート地点ですでにアドバンテージ感が半端ない。

そしてここに寝てる御年2歳の(988年生まれの)姫君が、一の姫あきこ様……彰子様…

彰子様じゃないですか!

(そういえば帝は10~11才、彰子様は2歳、8歳差なのですね……ついでに定子様とは11才差なのですね……)

 

ここで、貴族の子女は姫ができたほうが有利というのは当時が通い婚だったことも関係する。つまり帝も内裏の後宮で、それぞれの妃の殿舎に通うからだ。

姫を入内させ皇子が生まれた暁には外戚として実権を握れるから、政権の座を狙う貴族には姫ができたほうが有利なのだ。逆に、息子は少ない方がよい。なぜなら息子たちは長じて政争のライバルになるので。

 

それと、左大臣家の姫君には乳母がついてるでしょ、倫子様が膝にのせて廂で寝かせてるわけないでしょというツッコミは一旦横に置いて。

ここでは幸せな新婚夫婦の図でしかないので特に何もありません。

倫子様は人妻らしく、袴の色というよりは袿を濃い紅色にし、木瓜を織り出したみごとな衣装をまとっていよいよ奥様としての風格を備える立派な姿でございます。

しかしそこでまひろを久しぶりに呼び出し、何を相談するのかと思いきや、道長の文箱を勝手に開け、まひろとやりとりしていた文を持ち出して誰からの文なのか考えてほしいという。

 

恋文が本人に届けられるまでに、届けた下人の手から本人以外に渡ることはよくある話だったとしても。

いくらなんでも倫子様、ご主人の文箱から持ち出すなんて、さすがに個人情報保護の観点を無視しすぎじゃありません?

漢詩だけど、女文字じゃないかと思うのよ……」

そして倫子様、勘が鋭すぎです。土御門殿の深窓の奥で育てられた箱入りの姫君にしては世の中をわかりすぎてませんか?

そして自分が書いたものを恋のライバル(だったけど負けた)相手の姫様に差し出されてずばり女文字ではとか当てられ、まひろは生きた心地もしなかったことでしょう。

すらすらと陶淵明の帰去来の辞とか解説してますが、ものすごくせりふが上滑りしてて目線は白目をむきそうなほど不自然に浮ついてさだまりません。

 

※もう一度帰去来辞を貼っておく。

歸去來辭 陶潜
歸去來兮 田園將蕪胡不歸
既自以心爲形役 奚惆悵而獨悲
悟已往之不諫 知來者之可追
實迷途其未遠 覺今是而昨非
舟遙遙以輕颺 風飄飄而吹衣
問征夫以前路 恨晨光之熹微

さあ家に帰ろう。田園は(手入れをしないので草で)荒れようとしている。なぜ帰らないのか(今こそ帰るべきだ)。
これまで、すでに自分の(尊い)心を肉体の奴隷としてきたのだから(=役人となって心を悩ましてきたのだから)、どうして失望してひとり嘆き悲しむことがあろうか。
すでに過ぎ去ったことは諌める方法がないのを悟り、将来のことは追いかけられるのを知っている。
本当に道に迷った(=間違った方向へ行った)としても、まだ遠く(へは行って)はいなかった。今(役人を辞めて帰るの)が正しい生き方で、昨日まで(の生き方)は間違っていたことを悟ったのである。

 

でもまひろにとってはまさにこの詩の心境はあてはまるのではないだろうか。

くわしい境遇は陶淵明とは違っても、これからの生き方はまだやり直せるというあたり、まひろにぴったりなのでは。

 

さて相変わらず為時の士官の路は拓けない。当たり前である。為時とまひろは今まで何度もあったチャンスをわざわざ握りつぶし、見逃し、やり過ごしてきたのだ。今更なにを慌てているのだろう。

しかし畑で野菜を作るだけでは食べていけないので(当たり前の話で、第二次世界大戦末期の日本でも庭でさつまいもと野菜を作るも、タンパク質不足で栄養失調に陥ってたではないか)、まひろは自ら就活を始めたようだ。

 

つまり上流貴族みたいに入内するという話ではなく、受領階級の姫にありがちな女房として出仕する道を探すということらしい。受領階級は領地からの収入も多く、任国によっては今日の内裏に勤める貴族よりも経済力があり裕福な者もいたほどだ。身分は低くても財力はあったということらしい。

………いやいや?

受領階級なら、ですからね?

 

あくまで家柄が全ての貴族社会、父の為時はもう4年も無位無官なのに、女房としてどこの馬の骨ともわからない女を雇う邸があるわけもなく。

下女としてなら……それは主人と目通りもかなわず邸にも上げてもらえない、台盤所とか掃除婦としての身分の低い使用人じゃないですか。

絶対イヤですよね。

もう時すでに遅し、為時とまひろは見通しがすべて甘すぎるのです。

 

つまり逆に言えば、定子様が入内し中関白家は隆盛期を迎えるわけですが、その後宮サロンに出仕することになる清少納言の父清原元輔は、この時期周防守~肥後守を歴任していて、財力はあったと思われる。

つまり次回以降、清少納言ことききょうはどこかで出演されると思われます。

楽しみに待ちましょう。