歴史と本マニアのための部屋

歴史、政治、本、あと吹奏楽関連のつぶやきです

第12話「思いの果て」 大河ドラマのlightな感想 光る君へ

 

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死の影は身近にありそっと忍び寄ってくるもの

この話の冒頭で描かれるのは為時の病弱な妾の死。

死は当時とても身近にあり、形式的にだが死の床で僧侶に剃髪を受け(と言っても少しだけ髪を切るのみ)、出家することで死後浄土へ迎えられると考えられていた。

当時、死は日常と隣り合わせ、とても身近なものだったという描写だろうか。平均寿命もとても短かったし、怪我とか感染症の流行、また天災や戦であっけなく亡くなる事も多かっただろう。ここに見られる病弱なゆえの死ばかりではなく、文字通り明日をも知れぬ命だった。

源氏物語の中で描かれる

「正妻になれない女たちの苦悩」

と並んで、

「すぐそばに、身近にある死」

も、壮大な物語の脊梁をなす、時代を映すテーマだ。

 

人の命は短く儚いもの。

まるで朝露のように、あとかたもなく消えてしまうもの。

最高権力者の花山天皇ですらも寵愛する女御忯子の病には祈祷するしかなかったように、当時病気に対して科学的な医療の知識はなく、ただ治癒を祈る信仰と陰陽の占いに頼るのみであった。

死という概念への畏敬、

死後の世界への恐怖、

そして病に対してなす術もないことへの無念さ。

だからこそ生後すぐに五十日いかの祝い(お食い初めの起源)で乳児に餅を食べさせるまねの儀式をしたり、また袴着はかまぎの儀(3歳)で成長のお祝いをするのであり(袴着は七五三の起源)、乳児期を経て感染症などを乗り越え3歳まで生きるのがまず難題だったのである。

また、長生きをして40~50才とかになると四十よそじの賀とか五十いそじの賀として長寿を祝ったりもした。成人する前に夭折することも多かった時代、長生きするのは天災や流行り病を乗り越える困難なことであったので周囲から祝われたようである。

 

古くは秦の始皇帝が恐れた死。

彼は不老不死の薬を求めて部下の徐福を蓬莱山(があるとされた東シナ海)へ使いにやらせ(そして徐福は生きて戻らなかった)、また始皇帝陵にはおびただしい兵馬俑と皇帝の馬車を模して死後も皇帝に仕える軍隊とし、また宮殿のような空間と不老不死の薬とされた水銀を流して……

 

この死を恐れ、死後に救いを求める思想は日本に入ってきて仏教と結びつき、密教とはちがった宗派を生む。浄土宗と浄土真宗である。現世は病のほか天災、戦乱、飢饉などにより庶民の暮らしはよりいっそう死が身近であった。

花山天皇の出家のシーンで御所の朔平門から、道兼が帝を牛車に人知れず乗せて都を脱出する場面がありましたね?あの草木も眠る丑の刻、牛車の車輪が回る向こうの路上、築地塀とどこかの邸の立派な門に背を預けて、住所不定の衣装もぼろぼろな浮浪者(=ホームレス)が虚ろな目で牛車を眺めていました。政変に右往左往する貴族と帝の乗る牛車越しに浮浪者が一瞬見えるという構図が、当時の社会構造を(貴族の視点から)はっきりと表している。

あのような路上生活者は実際にはもっとそこらじゅうにたむろしていたと思われます。

散楽が行われ、まひろが歌の代筆をしていた絵師の店のある都の市の路上などに、ほんとは路上生活者も居てむしろに座り物乞いなどをやっていたはずです。

そのような存在はドラマのビジュアル上、故意に排除されているだけです。

 

源氏物語も貴族が主人公、公に流通させる出版という目標がなかったにしても、物語の読者もまた貴族を想定して書かれていると思われる。

価値観が貴族主体、そしてこの大河ドラマもまた主人公が貴族である以上、視点はあくまで貴族からとして描かれている。

 

このドラマの終盤では極楽浄土が現出したところも描かれるかもしれない、もしそうなら後日譚としてだろうけど。

それは道長の嫡子頼道が宇治に建立した平等院である。

阿弥陀如来さまにより、南無阿弥陀仏の念仏を唱える者はみな浄土へ導かれるのである……

(画像引用:平等院 - Wikipedia )

 

 

まひろの友人

ここで、為時の亡くなった妾(高倉の女)の忘れ形見の姫、さわが呼び寄せられて共に妾の臨終を看取ることになるのだが、この娘はそのまま為時邸に滞在してまひろのお話相手となるらしい。庭の遣水と畑を相手に野菜と会話しながら細々と暮らすまひろと意気投合していて楽しそうであり、やっとまひろが心から打ち解ける親友のような存在が現れたのかと思うと視聴者としてはほっとする。倫子のサロンでは文学的な話しでは盛り上がっても、姫様たちの会話にはまひろは常に気後れしていたようだったので。

 

このさわという娘、今は父に引き取られて生活しており、衣装も一般的な貴族の姫らしい風格がある。というかまひろ一家が困窮しすぎているだけなのだが。それに外出に際してちゃんと市女笠に虫の垂れ衣をたらして、奥ゆかしさがある。というかまひろが何もかもオープン過ぎるだけだ。

そのような良家の子女が他家、しかも築地塀が崩れるようなあばら家(に近いでしょう)に滞在しているとは、家のひとたちにバレないのでしょうか。大丈夫なのでしょうか?

たぶん筆と箸以外の重いものを持った事のないのであろう、貴族の姫さわは掃除とか畑仕事とか何をやっても新鮮な驚きをもって作業に励み、また琵琶の演奏までまひろの指南のもと体験しているようだ。

内裏での陰謀が渦巻く濁った空気、重苦しい筋書きから一転して太陽と土と水を相手に会話する素朴なシーンは目にも耳にも癒されるものがある。

 

サロンの風景

為時が官位を失ったことは左大臣家の倫子のサロンでも話題に上がるが、まひろは臆することなく隠し事もせず、事実をありのままに語っている。

「下人にも暇を出しましたので家の事は自分で……畑仕事も自分でやってみると楽しゅうございますよ、心を込めて声を掛けていれば野菜はすくすくと美味しく育つのです……掃除をしていれば床の板目が様々な紋様に見えて飽きません…」

通常の物語だとこのサロンに参上する衣装をまず整えられなくなって、伺候を辞退するところだが……まひろはそもそも家と同じ普段の素朴な(絹ではない)袿でいつも参上しているし、過分に身を飾り立ててひけらかすこともない。いつも等身大、ありのままである。

この貧乏に窮する事態になっても明るく前向きにとらえて自然に振舞うまひろに、姫君たちも共感を示しているし、倫子も感嘆の意を述べていた。

これからも左大臣家の学びの会には、変わらず顔をお出しくださいませねという倫子の言葉にまひろも「最初は居心地が悪かったですが」と正直に言いつつも、まひろもサロンに参上することは楽しみらしい。ふたりでかわいくウインクしながらこっそり微笑みあっているところが何とも可愛らしい。

サロンに初めてまひろが参上した時の口上が、

「前播磨守権小掾の藤原朝臣為時のむすめ、まひろでございます。」

といって緊張しているところにかけられた言葉が

「今の御父上の官職は?」

で、円融帝の御代だったため為時は無官で、まひろは返す言葉もなく、その場の皆が「まあ……」と一様に色を失っていたことを思い出す。

サロンで姫様たちの話のポイントもつかめず、皆が笑うところでまひろは愛想笑いもできず、ただ赤染衛門先生の講義だけはまひろは心底楽しそうで、でもまひろのエッジがききすぎた鋭いツッコミにはやはり姫様方はついてこれず……という時もあった。

でも倫子はそんなまひろの思い付きにいつもさりげなく付き合ってくれていたし、深窓の姫君に似つかわしくないおおらかな度量と鷹揚さを持っているなと思う。

倫子がサロンの別れ際に自然に笑ってくれたのにつられ、やっとまひろも張り付いたような作り笑いではなく、自然と本心から笑えるようになってて感無量。

サロンで少しづつ姫様たちと打ち解けあいながら……ここまでの道のりが、ほんとに長かったなあと思う。

まひろは社交的でも何でもなく、かなりの引きこもり文学少女だと思うが、外に出てみて交流を深めるのも悪くないですよね?

 

ちなみにまひろがいう「瓜も菜っ葉も誠意を込めて世話していれば……」ですが、畑で引っこ抜いていたのは瓜ではなく、かぶです。脇に雑草が生えていた痕跡もなく撮影セットの畝に埋め込んだだけの野菜である点がリアリティに欠けるところは否めないが、ここが本筋じゃないので、まあいいとしよう(上から目線)。

 

 

(おまけ:前回、第11回「まどう心」感想に書き忘れていた箇所の回想)

まひろは父の官職が途絶えた今、世俗の念が消えたとでもいうかのように、漢籍の書写に余念がない。活版印刷がない時代、書物の複製は専ら書写によるものだった。仏教経典の書写は大寺院において僧侶によって大規模に行われていたが、詩や漢籍などの文学作品はあくまで当時個人像のものを回し読みしていたようだし、やはり写本は貴重なものであり、蔵書の数はすなわち財力をあらわしていた。

ではなぜ為時邸は貧窮を究めているのに写本や巻物の書籍は所狭しと沢山あるのだろう。理由はわからないけど為時が衣食住を削ってまで蒐集した貴重な漢籍なのだろうなあ。交際費や娯楽にかける実費も削って全部書物につぎこんだのがありありとわかる圧巻の蔵書数だ。

ここでまひろが書写しているのは唐の詩人白居易(=白楽天)の長恨歌言わずと知れた、玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスを描いた長編だ。

 

長恨歌の前半を引用しておく》

※この途中の「春宵」の部分あたりを、ドラマではまひろが書写していた

 

漢皇重色思傾国 御宇多年求不得

楊家有女初長成 養在深閨人未識

天生麗質難自棄 一朝選在君王側

迴眸一笑百媚生 六宮粉黛無顔色

(現代語訳)漢の皇帝は女色を好み 国を傾けるほどの美女を得たいと思う
だが天下を治めている長い間 求める人は得られなかった
揚氏の家に娘がいて 大人になったばかり
深窓の令嬢として育てられ 誰もまだ知らない
生まれつきの美貌は変わることなく輝き
ある朝 選ばれて帝王のおそばに仕えることになった
振り返って微笑むと その艶やかな色っぽさはこの上ない 
後宮の美女たちもみな圧倒されてしまう

 

春寒賜浴華清池 温泉水滑洗凝脂

侍児扶起嬌無力 始是新承恩沢時

雲鬢花顔金歩揺 芙蓉帳暖度春宵

春宵苦短日高起 従此君王不早朝

(現代語訳)春のまだ寒い頃 華清池で湯浴みを賜った
温泉の水はなめらかで きめ細かな艶やかな白い肌にふりそそぐ
侍女が助け起こすが 艶めかしくしな垂れる
これがはじめて皇帝の愛を受け入れた時だった
雲のように豊かな美しい髪 花のように美しい顔 揺れる金のかんざし
蓮を刺繍した寝台の帳は暖かく 春の夜が過ぎてゆく
だが春の夜はとても短く 起きる頃には日が高くなっている
これより皇帝は早朝の政務をしなくなった

 

承歓侍宴無閑暇 春従春遊夜専夜

後宮佳麗三千人 三千寵愛在一身

金屋粧成嬌侍夜 玉楼宴罷酔和春

姉妹弟兄皆列土 可憐光彩生門戸

遂令天下父母心 不重生男重生女

(現代語訳)皇帝に愛され宴席でもそばに仕え(妃は)暇がない
昼は昼で春の行楽に付き添い 夜は夜で枕を独り占め
後宮の美女は三千人
その三千人分の寵愛が(妃)ただ一人に注がれる
黄金の館では化粧を凝らし 艶めかしく夜を共にする
美しい御殿での宴が終われば 酔いは春と溶け合う
兄弟姉妹みな領地を賜り
ひときわ光彩を放つ一門の栄華
こうして世の親たちは
男を生むことを重んじず 女を生むことを重んじるようになった 

(引用:『長恨歌』現代語訳:参考文献:源氏物語ウェブ書き下ろし劇場:台本:演劇の世界:MAC )

 

※もう一度言う。前回、第11回「まどう心」感想に書き忘れていた箇所の回想です。そして、さらに繰り返すが、まひろが書写していたこの漢詩は唐の詩人白居易(=白楽天)の長恨歌

ここで妄想が広がる。

楊貴妃がひとたび微笑を巡らせば、後宮の並みいる才色兼備の妃たちもみな色を失う。

後宮の寵姫3000人ぶんの寵愛を一身に受け、その美しさは芙蓉が花開いたよう……

 

まひろは帝の後宮に入内する身分でないことはいうまでもない。

ただ楊貴妃のように寵愛されるのは女として幸せであることには間違いない。貴族の姫として栄達を究めることは政治的な別の意味を持つとしても。花山天皇の女御忯子さまが病に倒れたとき、内侍たちが宮中の噂として「帝に寵愛され過ぎて倒れるなんて…(女として)お幸せね~」「あこがれる~」「おかわいそうに~」というコメントが陰でコソコソと囁かれていたが、まさにある意味幸せである。)

そして帝に仕えるというよりは、海を渡り時代を超えて語り継がれるロマンスに自分を投影してみて、好きな人と添い遂げる幸せをこの漢詩から夢想していたのでは……

まひろは、道長との成就しえぬ恋を捨てきれず、心のどこかで大切に胸に秘める思いを持っていたのでは……

一縷の望みというやつです。

この淡い思慕の情は、今回第12回で見事に打ち砕かれることになるのですが。

 

結婚観

道長の場合

道長左大臣家の一の姫倫子との結婚。これは史実に見え、ドラマを見ている人誰もが知る未来でもある。ここに至るまでの登場人物たちの葛藤を伏線を回収しながら第12回で描いているのだと思う。

兼家の長男道隆の妻は高階氏の貴子。受領階級であり官位は高いわけではない。その意味では道隆は家柄目当てで結婚したというより、貴子(と高階氏の学識と知性)に自分の出世を賭けたとも考えることができる。

毎回繰り返して書くが、当時の結婚は通い婚、正妻になる姫の実家が婿を経済的にバックアップしてもりたてる、政治的スポンサーの役割を果たすのだ。夫の衣装を季節に応じてセンスある色と柄を選んで仕立てて準備するのも正妻の役目。

この時点で、まひろは家柄でいえば藤原氏の傍流の傍流でしかも財力はゼロというかマイナス。道長の妻というか側室にすらなれなくて、時々気が向いたときに通う町の小路に住む女で、飽きたら捨てればよい都合のいい存在がいいところだろう。

何番目かでいいなら妻(=側室)として待遇するよ!悪い話じゃないから!道長がいうのは現実を見た精一杯の気遣いだったと思う。

でも男がそんな事をいくら言ったところで、まひろには身を切られるような残酷な通告であり

「そんなの、耐えられない!」

という悲痛な叫びも、もっともなのである。

 

まひろの場合

ここでまひろが二十歳を迎えるのを目前にして現実に縁談が持ち上がる。

宣孝が、為時の窮乏を打ち破る現実的な対策としてまひろに縁談を持ち込んだという方が正しい。

「この家の窮地は、まひろが婿取りすれば万事落着するのじゃ」

繰り返すがこの縁談を持ち込んだのは宣孝だ。

親戚のおじさん。

身なりも良く世渡り上手というか世間ずれしたというか如才ないふうな、まひろよりも20近く年上の、佐々木蔵之介さん演じる宣孝おじさん。

もう書いてもいいですかね?

いいですかねネタバレしても?

大河ドラマご覧の皆様はご存じですね?

将来のまひろの旦那様です。

えええ~~~???

物語がどう転がってそうなるのか?

今の時点ではさっぱり想像がつかないですね。

単に親切な親戚のおじさんです。

裳着の式でまひろの腰結を担当してくださった信頼ある親戚のおじさん宣孝様が、旦那様…?逆に言えば、宣孝様は誠実なお人柄なのですか……?大丈夫なのでしょうか…?

 

それは置いといて宣孝の持ち込んだ縁談は、従四位下藤原実資である。花山天皇譲位に伴いいったん官位を解かれるも、一条天皇の御代になって蔵人頭に再び任命されたであろう、優秀な実務官僚である。

為時の第一声「実資さまは、身分が違いすぎる」とあるのももっともである。

(実資の妻は源惟正女、前回まで桐子という名で登場していたが昨年亡くなったはずで、今は実資は独身のようだ。)

 

為時から見た実資

まひろ「あの方は父上よりも学識がおありなのですか?」

あのね、縁談に持ち上がった相手に対し、父上のしかも学識の有無を基準にしてどうするんだ、まひろ。究極に世の中を知らない、恋愛の基準もわかってない、文学オタクの台詞です。ついでに、第二回放送あたりでは思春期の反抗期?か、父と喧嘩してたまひろですが、このように大人になってからは相変わらず父上を尊敬してやまない、どこか盟友のように感じてるところのある学者気質のまひろである。ついでに引きこもりの陰キャである。陰キャがどうとかいうつもりはないが、事実世の中の華やかな栄達には興味なく無縁の学者肌である。

為時「学識の高さもさることながら、あの方の素晴らしいところは権勢に媚びないところだ。筋の通った、お人柄なのだ。」

そして為時とまひろのこの会話を見ても、彼らがその学才にしては出世できない致命的な弱点がありありと表現されている。婿がねを探すのに、将来性とか政治的な才覚とかを問わずに「誠実で権勢に媚びないところ」を評価してどうするんや。まるで出世できない性質の人をわざわざ選り分けて探しているみたいじゃないか。それじゃ婿になってくれても出世しないと言ってるようなもんじゃないか。

この人たちの人を見る基準は「学問があるかどうか、誠実な人かどうか」なのだ。

そう感じたのか、つくづくこのふたりに任せておくのはダメだと痛感している宣孝おじさん。

 

宣孝から見た実資

「学識、人望、それに加えて実資様には財力がおありだ、うーんまひろの婿として申し分ないことこの上ない!!」

藤原北家嫡流として小野宮家の莫大な所領を継承した実資は当時有数の資産家であった。所領とは荘園であり、そこからの収入を指す。

宣孝様はこの三人の中でただひとり、生きていく上には財産がないと、先立つ経済力がないとやっていけないことを分かっている存在だ。まひろと為時が夢見がちなことをのたまうなか、宣孝だけは、実資が大金持ちなことを挙げて満足そうにうなずく。

さらに後日、わいろとして貴重な写本の数々(に仕込まれた実資様がお好みと思われる絵)を贈り相手の心証を良くしておくべく先手を打っておくことも忘れない。

ほんとに世渡り上手である。

しかし実資の日記、小右記には「鼻糞のような女との縁談あり」とつづられて(国文学わからないので実際に小右記に載ってるのかどうか知らないが)、また宣孝も赤痢にかかって生死を彷徨っていた実資を目にし「あれはもう死にかけだ、次いこう」とドライに気持ちを切り替えている。

死にかけだったかどうかはともかく。

 

縁談に全く乗り気でなく「宣孝様、もうおやめください」というまひろに宣孝は一喝する。

夕闇を背に、夢見るまひろを一言で論破する宣孝様。

「そなた一人のことではない」

かすみを食ろうて生きていけるとでも思っておるのか」

「甘えるな!!」

よく言ってくださいました宣孝様。世の中を生きていく術を全く分かっていないこの二人にはこのくらい言わないと効かないのでございます。

 

前回の第11回で「正妻でなくともよい、婿にしてくれる殿方がいれば万事解決なのだ」とも宣孝様はおっしゃられていましたが、この側室で迎えてくれる殿方がいまのところまひろにとっては道長だったのですがねえ……

でもまひろは、世の中を分かってないとか甘えるなとか言われても、そこだけは女として、いや人間としての尊厳が許さなかったのでしょうね………

自分を一人の人間として見てほしい。

ちゃんと正面から存在を認めてほしい……

この願い、そんなに論理の通らない無茶苦茶なことではないと思いますがね、当時の結婚観ではまひろの願いは叶わなかったのでしょう。

死の無常観よりも、こっちのやるせなさのほうが今回のストーリーでは心に重くのしかかってくる。

 

現場から:道綱の気持ち

なんの現場かというと。妾の立場からのレポートである。道綱は兼家の正妻時姫の子ではなく妾の息子である。そのため政治の世界でも昇進に明確な差がつけられ「従四位下にしてもらったはいいのだが誰からも相手にされぬ」というふうに内裏でも浮いている存在というのは本当なのかもしれない。

妾である母は兼家から熱烈に愛されていた、のは昔の話で、通う足が遠のき苦悩するさまは蜻蛉日記に克明にえがかれている。

「男としては妾にじゅうぶんなことをしてやっているつもり」

なのかもしれないが、では

「じゅうぶんなこと」

とは?

妻はみな

「自分を一番に愛してほしい」

という願望を持っているはず。

そしてそれは一夫多妻制である以上叶えられない願いだ。

みんな大切に思っているというのは男の一方的な言い分に過ぎないのだ。

通ってくる男を信じて待つしかない妻の気持ちは男には決してわからないだろう。

 

道長を巡る人々の思惑

左大臣源雅信と摂政兼家

このふたりは、兼家が摂政の座を勝ち取り権勢を揺るぎないものにしたのちも、ライバル関係であることには変わりなかったようだ。花山帝の御代、外戚藤原義懐が我物顔にふるまい、政治の実権をほしいままにしていたことに対して、彼を排斥しようと関白頼忠と共に一致団結していただけの話だ。

そこで摂政の兼家はさらに権力を盤石にする狙いか、道長左大臣家の姫倫子との縁談に前向きである。兼家と左大臣雅信が対立して互いに勢力を削いでいたのでは第三の勢力が台頭してくるのを助長するようなもの、ここは相撲で四つに組み合うがごとく勢力バランスを均衡に保っておこうという兼家の打算なのかもしれない。

と、このような狡猾な下心を露骨ににおわせながら、兼家は左大臣雅信に慇懃丁寧に縁談を持ち掛ける。

表情はにこやかで下手に出た物腰。

「どうか左大臣様のご厚情を賜りたく存じます」

といって深々と頭を下げるがその目は

「断ったらどうなるかわかってるだろうな!??」

と、無言で圧力をかけてくる。心なしか勝ち誇ったような笑みさえ浮かべる兼家。

対して左大臣は皇室の血を引く源氏であるため政治的にこれといって野心もないようで、倫子かわいさのあまり気づいたら二十歳がすぎていただけに過ぎない感がある。兼家の伏線を万全に張った、まるでアリジゴクの罠のような縁談になすすべもなく反対する気力もなく、かろうじて

「倫子の気持ちも聞いて見ませんと……」

と態度を留保するのが精いっぱいのようだ。

 

倫子の直訴

そして兼家は婚家両親への面接代わりにか?左大臣家へ、文の使いと称して道長本人を差し向けた。しかしその文は

「此の者、道長也」

という、冗談にもならない口実なのがわかりすぎるふざけた文で、左大臣

「なめておる………!!!」

と憤りを隠せない。道長本人がどういう人間かというより、この縁談そのものを成立させること自体に兼家の目論見があり、道長とは目通りしてくださればそれでよいのですという意味か。面接も形式的にすぎないのか。

 

そこで、以前からこの話が左大臣口から仄めかされるにあたって、ほかの(公任様とかの女遊びで有名な)公達を一蹴して道長を激烈に単推ししてくれた人物がいる。

それは源雅信正室源穆子である。

御簾越しに、対屋から遠く道長を眺めてうっとりする倫子と穆子。

結果的に道長は倫子を正室にすることで、ほかの色々な運も重ったこともあり人臣の栄達を究めるのであるが、穆子の有無を言わさない左大臣への圧力プレゼンがなければこの縁談はまとまらなかったであろう。

道長本人が直接縁談の話を以て左大臣家へ現れたとあって、決定的瞬間だと踏んだのか、倫子本人もこの期に及んで左大臣へ直訴する。「倫子は、道長様をお慕いしております!」しかし決定権は左大臣にあり、そして摂取兼家を生理的に嫌悪している以上、倫子の決死の願いもなかなか通らない。

「打毬の会でお見掛けして以来、夫は道長様、と心に決めておりました。どうか道長様をわたしの婿に、倫子の生涯ただ一度のお願いでございます!」

えぇ……そんなストレートな………

「摂政様の家系でなければ、良かったのだがのう…」と煮え切らない左大臣。なんて往生際の悪い。兼家の視線に射すくめられたように何も言えなかったのに、反対もあったものじゃないと思いますが。

「叶わなければ、倫子は生涯、猫しか愛でませぬ!」

といって泣き崩れる倫子。

「泣くでない、父は何も不承知とは言っておらぬのだから……ああ、よしよし……」

 

とそこへ、言質を取ったとばかりに、しゅっと袴を捌く衣擦れの音と共に、颯爽と現れる正室の穆子。まるでここまでの展開も含めて何もかもお見通しであったかのように。

「倫子、良かったわね!」

「なんだ、お前!!???」

ここまでくると単なる夫婦漫才でしかないが、

「父上は、『不承知ではない』と仰せになりましたよ!この縁談、進めていただきましょう」

と言ってのける。

穆子様の左大臣様を手玉に取る技量、実に鮮やか。

勝ち誇ったようにテキパキと立ち回る姿がお見事である。

「あなた、よろしくお願いいたしますね!」

ここであきらめたように座り込む左大臣

この道長にとっては姑にあたる穆子、これからの結婚生活でも協力者になってくれるはずであり、道長は頭が上がらないことであろう。

 

というか実際の結婚というのは三夜通ってもらってはじめて披露宴(という名の所顕)をするのであり、その前に、正式なプロポーズ代わりの求愛の文を何度も贈っていただき、最終的に女性側からOKの文を出すことを以て結婚の承諾が成るものなのだけど。

ここで道長は全てのマナー違反をおかしている。

文のやり取りもなく、事前に夜の訪問をするというアポも取らず。左大臣家への訪問なのに。姫様への了解も取りつけず。

いきなり夜に倫子のもとへ訪れ、夜を共にしているのである。なんでですか。

ここで貴族の邸の造りが御簾とか几帳で区切っただけの開放的な空間で鍵も扉もなく、いわば夜に来られると締め出したり追い出したりすることは不可能、極端にいえば、姫君は拒否することはできない。

でも案内する女房にそもそも許可を下したのは左大臣正室の穆子なのである。

道長様がアポもなくご訪問ですって、夜に?……いいわ、屋敷に入れておしまい!」

この穆子様の行動がつまり倫子と道長の結婚を許可したという直接の指示である。

道長様にはもっと手順を踏んで正式な求婚をしてもらいたかったですが……

穆子様、いいわ、って………

いいんですか…………?

左大臣家、それでいいんですか……?

 

詮子の思惑

倫子とは別に、道長にはもうひとり正室が居たことで知られる。いや、厳密には第二の妻という地位でありつまり側室だ。というか側室はたくさんいたが、倫子と同様に大切にされていた妻といおうか。設けた子の数は倫子と同様だからだ。

それは一条天皇の母で東三条院となって権勢をふるう詮子が庇護している、源高明の一の姫、明子である。

詮子はここで明子女王と言っているが、正確には、源高明の娘であり源姓を賜って臣下に下った親王の娘なので、女王ではない。しかしここでわざわざ皇室の血を引く姫であることを強調しているのは、由緒正しい出自の姫を妻に持つのは道長の政治的立場を強固なものにするうえで、悪い話ではないのだと、詮子は言いたいのだろう。

確かに絶世の美女であるし、詮子がぜひにと推すのもわからないではない。

 

ただ。

明子は源高明の娘。

源高明といえば安和の変藤原氏に失脚させられ太宰府に左遷させられた人物で、その娘を娶るというのは道長にとって政治的にマイナスなのでは???

というのが現代の感覚だけど、実際はそうではないらしい。

もう安和の変は過去のものとされているのだろうか。

 

そんな心配は道長の視点からのもので、源高明の娘である明子にしてみれば、父を陰謀により失脚に追いやった藤原氏は父高明とその派閥(政治的に)、また身内のものにとって敵を討つべき相手である。藤原氏と一括りにしてしまうと、当時の政治の主要な地位を占めていた高官から下級貴族まで政界のほぼすべてを席捲していたのが藤原氏なのだから、そこを憎むとなるとものすごく目標がアバウトになってしまうと思うのだが。

でも安和の変には少なくとも兼家の血筋には関係しているものがいるわけで、その三男の道長ははっきりと陰謀に関係はしていなくても、あの政変の結果、利益を被った立場ではあるだろう。

明子から恨みをかう対象とされても(道長の意志はそこに存在してなかったとしても)、文句はいえないかもしれない。

でもこの明子の静かに決意した様子はただごとではない。

倫子とともに仲睦まじい夫婦というか道長の側室として多くの子を産み、この後の人生を平和に送ることになる……とは単純にいえないようだが、どういう展開になるのか気になるところである。

 

まひろの願い

この道長の倫子との結婚を決断した話を、まひろは直接道長の口からきいている。

よく考えると、はっきりと振られたのである。

いや?正確には違う。

道長は心の中で「妾でもいい、といってくれ、まひろ……!」と切に願っているようである。

しかしそうは問屋が卸さない。

男の思い通りに世の中は動かないのだ。

 

まひろも、人格と尊厳を備えた一人の人間である。

誰が最初から「君の事は一番じゃないけどね、何番目かに大事にするから」と言われているという事実を分かってて、OKを出すのでしょう?

当時は一夫多妻制であり、それが男女の関係の常識だったとしても。

 

しかも急に文を受け取り、まひろがこのようなそれまでの葛藤とプライドを天秤にかけ、最終的に心のどこかで割り切って決断し、待ち合わせにかけつけた結果がこれですよ。

(文をよこした主が三郎と知り姉をからかう惟規なんて、まだ可愛らしくて許せます)

 

道長が名残惜しそうに、結婚の報告をする横で。

まひろは平静を取り繕いながら形ばかりのお祝いを述べる。

 

しかし、そんな道長には靡かないとでもいうように、まひろは決然と言い放つ。

 

男に人生を決めてもらうのではなく、

自分がどう生きるかは自分の意志で選ぶのだと。

 

道長様とわたしは辿る道が違うのです。

 

わたしはわたしらしく。

自分の生れて来た意味を探して参ります。

 

 

でもこの選択をしたと冷静に語れるほどまひろは大人ではなかった。

 

家に帰ると庚申待ちの夜のため寝ないで待っていた惟規が、黙って酒を酌んでくれた。

さわは「こらえずとも、ようございますよ。まひろ様……」と声を掛けてくれた。

 

惟規の差し出す酒を柄にもなく黙って受け取り飲み干す。

そしてさわの言葉どおりこらえきれずに無言で涙を一杯にためて、夜空を見上げるまひろ。

 

人間は幸せでも泣くし、悲しくても泣く………

道長と男女の関係になってまひろはこうつぶやいていたが、あの時すでにこの別れは暗示されていたというか、まひろはこうなると分かっていたはずなのだ。

ゆくゆくは道長正室を娶るし、それがおそらく許容できない自分は、黙って身を引くことになるのだろう、と。

 

それが理性では分かっていても、流れる涙は止められない。

このまひろのどこにもやり場のない悲しみを、BGMのオーケストラが、万感の思いを込めて音楽に紡ぎ出す。

 

惟規の酒を飲み干すまひろのバックに弦楽器が哀愁を込めた旋律を奏でる。

そのあとの、短調みたいな和音が厳粛で悲壮な雰囲気を醸し出す。

 

最後のシーンでまひろが夜空を見上げる10秒間くらい、そこに最後の和音が3つ、静かに音もなく置かれる。

弦楽器の旋律と共に。

 

このシーンの最後の3つの和音が、まひろの気持ちを全て物語っている。

 

何かに似てますね?

自分の中ではドヴォルザーク「スラブ舞曲」第2集2番、いわゆる72-2の、最後の和音に似ていると思う。

この曲の終止形が、今回のラストシーンの情景に似ている。

※曲の最後の和音の箇所を頭出し済み:Antonin Dvorák - Slavonic Dance op 72, Nr. 2, Berliner Philharmoniker, Silvesterkonzert 2018 - YouTube

 

ホ短調の曲だが曲調は途中で軽やかに明るくなるけど、やはり和音というか旋律というか、どこか物寂しいのはスラヴ民謡だからか。

※曲の最初から再生したい方、だいたい6分くらいの曲です。お時間ある方は、できれば頭からきいていただき、最後の和音をかみしめるように味わえば、より哀愁が際立ちます:Antonin Dvorák - Slavonic Dance op 72, Nr. 2, Berliner Philharmoniker, Silvesterkonzert 2018 - YouTube