歴史と本マニアのための部屋

歴史、政治、本、あと吹奏楽関連のつぶやきです

第11話「まどう心」 大河ドラマのlightな感想 光る君へ

 

第11回のお題は「まどう心」。

誰が、何に心まどわされているのだろう?

前回からの展開で、それぞれの立場から心境を想像しながら考えてみる。

 

目次:クリックで各項目へ飛べます

 

 

寛和の変 後日譚

花山天皇の場合

前回書いたけどもう一度。女御の忯子亡き後、菩提を弔いたいと出家を望んでいた花山天皇だが、そのように(嘘の怪異現象を演出したりして)陰ながら工作し唆したのは兼家と実働部隊の道兼である。あからさまにいい人の振りをして近づいてくる道兼のような人物は信用してはならないという良い例だ。

そもそも利害関係が露骨に分かる政治工作を仕掛けられてまで、なぜ帝ともあろうものが、ここまで単なる臣下、二位の右大臣兼家ごときにないがしろにされなければならなかったのか?

それは彼の出自を思い出せば首肯できる点も多い。父は冷泉帝、母は藤原伊尹の娘・女御懐子。しかし父の冷泉帝はすでに先の政変(源高明藤原氏によって失脚させられた安和の変)によって円融帝に譲位し権力はなく、母懐子も早くに亡くなった。また外戚であり当時の藤原氏筆頭の伊尹も既に亡い。叔父の義懐はまだ兼家より20才ほども若く、その点で政略を運営していくには役不足だった感は否めない。

要するに政治・財政的に庇護してくれる権力がなかったため、花山天皇は兼家に存在ごと吞み込まれ消されたといえるだろう。

天皇なのだから財政基盤=国家財政じゃん、心配いらないじゃん?と思う向きもあろうが、当時の帝の財政基盤は後宮に姫を女御や中宮として差し出す野心的な貴族が全面的に当世の帝を外戚としてバックアップするというシステムだったから、つまり父も母も亡くした花山天皇と年若い外戚の義懐政権では、ライバル(=兼家)に対して完全に役不足だったということになる。

帝をバックアップできるだけの政治・経済的基盤がじゅうぶんでないと後宮に姫は差し出せないということだ。いやにハードル高いな。その時点で対象となる貴族と帝に年齢の釣り合う姫はだいぶ絞られてくるともいえる。

 

さて。父も母も亡い親王、というところで皆さまお心当たりございませんか?いや、父帝(円融帝)は亡いというより譲位し上皇になっていただけですが。

そう、一条帝の異母兄で四歳上、当時11歳だった居貞親王のちの三条天皇です。

花山天皇が今回の寛和の変で19歳で譲位したあと、一条天皇が7才で即位すると同時に春宮として内裏に参上しているようすがドラマでも描かれていた。

系図引用:三条天皇 - Wikipedia )

居貞親王の母は、兼家の亡き長女である超子。
つまり????

一条天皇の即位の時点で、兼家は現在の帝と、次代の春宮を共に自身が外戚として掌握し、摂政になれる権利を2代の御代にわたって確実に押さえたという構図なのです、あの春宮登場の場面は。そこでしらじらしく春宮の横で廂に共に伺候する兼家。

こう言っては何ですが、身も蓋もないというか手段を選ばないというか、やることなすこと徹底的すぎて開いた口が塞がらないというか…まあそれは現代の感覚にすぎない。

ここまで苦労した甲斐がありましたね兼家さん。苦節何十年もの政争を泳ぎ切って何人もの政敵(つまり兄弟含む)を追い落とした末に、みごとに政権を握ったのでした。

これを機にいよいよ藤原氏が実権を握る摂関政治の時代は隆盛を迎える。内裏の後宮を舞台とする王朝国風文学もこれからが最盛期。

かくして何十年にもわたり陰に陽に政治工作を徹底してライバルを消し、頂点に上った兼家。これで氏の長者となり、あとは自分の後継者=道隆に権力を継承できれば全ての望みは叶えられたと言えるだろう。

 

為時の場合

目標を冷徹に定めそこに向かって猪突猛進するがごとくに突き進んだ兼家。対してまひろの父為時は、政治的工作を全く行わず、衣冠昇進には学問あるのみの頑固職人肌のため、官位喪失はなるべくしてなった結果、いわば自業自得でしかない。慰めの言葉も必要ない。

父の官位喪失を知ってうろたえ「では私はこれからどうなるんです?」と、父を問い詰める長男惟規に対して、この期に及んで為時が放ったキメ台詞をお聴きになりましたかみなさま?

「父はもう、何もしてやれぬ」

うう……そうですね、あまりの無常な境遇に皆が涙を誘われます……

「死ぬ気で学問に励め」

………????

え???学問ですか????

為時ほどの博覧強記の学者でも、やっと兼家のつてを頼って手繰り寄せたのが六位蔵人だったのに?????

いまだに、出世するカギは学問でがんばれば身を立てられるとお思いなのですか為時さん?

どこまで理想主義なんですか????

まるで官位を放棄し理想に生きる老荘思想、清談に耽る竹林の七賢みたいになってませんか?

このときの惟規、まひろ、乳母いとの絶望的な表情が全てを物語る。衝撃が大きすぎて誰も立ち直れない。

そう、これ以後10年の時を為時は無位無官で過ごすことになるのだ。働かずしてこの質素とはいえ築地塀と遣水を構える邸をどうやって維持していくのだろう。乳母いとと従者乙丸のお給料は誰が払うのだろう。貨幣経済は都でも全く浸透してないから現金の概念もないとはいえ。

そもそも全部為時が悪いんだ。自業自得だ。

何回目の放送だっけ?確か兼家に「もう十分お世話になりました、ありがとうございました。」といって自ら花山天皇の漢文指南役を辞去したのは為時自身じゃないか!?

(あの役が兼家からの花山天皇の動向を探るスパイを兼ねていたとしても。)

あの漢文指南役は、なんとか兼家ならではの口利きをして手に入れた、いわばワープ枠というか穴場というか兼家がひねり出したウルトラC枠だったのに。その枠を自ら理由もなく、お世話になりました♬のお気持ち表明だけであっさり捨て去る為時。あの態度そのものが、兼家が口利きした役という意味を1mmも理解してないことを如実に物語ってるし、兼家のメンツが丸つぶれなのも全くわかってない。為時は失礼なことを言ってるとは夢にも思ってない所が哀れを通り越して滑稽ですらある。

為時はサラリーマンなのです。しかも兼家が個人的に用意したポストの。その上司の心づくしの役を足蹴にするわけです、為時は。社会人として一番やっちゃいかん事をやったのです。

兼家はあの回、あの場面で「そうか、ご苦労じゃったな」と、スッと無機質な営業スマイルに変わっていた。自分の手を離れた駒にはこれ以上感情を挟まず、その利害には今後一切関与しないことにするという政略上の兼家ならではの防御システムが作動したものと見える。

全力を尽くしたうえで運に見放されたのなら、視聴者としてもまだ気持ちのやりどころはある。しかし為時はあろうことか自分で運命の手綱を放したのだ。弁明の余地もなく、同情する気にはとてもなれない。

 

兼家の場合

兼家の大一番は先の寛和の変であり、これ以後政権の主要な席は身内の者(息子たち)で固め、露骨に政治を意のままに操るようになっていく。長兄の道隆は正二位大納言、道兼は参議というふうに。

さっそく臨時の除目を発表し天下に大号令をかける兼家。ここで注目するなら藤原為光従一位右大臣に叙せられていることか。為光は兼家と兄弟で政争を争った仲、さらに為光は娘に花山天皇の女御忯子がいて花山帝時代には権勢をふるっていた。そこで、同じく兄弟の伊尹と兼通を追い落としてきた兼家によってこの除目は絶望的と思われたが、政治のパワーバランスというか、左大臣源雅信の対抗馬として為光を右大臣に置くことにより各氏族の均衡を図ったのか?兼家の真意はわからないが、為光本人は思っても無かった僥倖らしく、思わず膝を打って喜んでいるふうである。

唯一の例外は藤原実資蔵人頭であった席をいったん解かれるが、実務の優秀さゆえに一条天皇のもと再び蔵人頭に就く(はず。その場面はまだだけど)。

なんといっても一条天皇はまだ7歳におわす。少なくとも元服されるまであと7~8年(?)はあり、兼家が大掛かりな政策を長期にわたって画策するも何もかも思いのままである。

(たぶんお気に入りなのだという意味だろう)道長と差し向かいで月を眺めながら酒を酌み交わす兼家。

一条天皇の即位に際し、高御座に何者かが生首(誰のかわからない)を仕込むという事件が起きた。これは史書にも見えるようだがしかし真偽は定かではない。ともかく事実とするなら明らかに犯人は寛和の変で失脚させられた義懐だ。でも犯人は追及されず、捜査もされず、そもそも事件自体が証拠隠滅により表沙汰にはならなかった。

死の穢れは貴族が何よりも忌み嫌うもののはず。出かける先に葬式等の不幸があると、わざわざ別方向に前泊して(方違え)まで死の穢れを避けるというくらい、陰陽の占いと共に習慣を徹底するものなのに。

道長はその場で役人と内侍に全くの独断で箝口令を敷いたが結果的に(兼家によれば)その判断は正しいと褒められている。

要するに天皇陛下の政治手腕に皆が期待しているのではない。誰が天皇陛下のもとにお仕えするかが重要なのだ。

「新しい帝は即位された。それが全てだ」

この万感の思いがこもった兼家のせりふは非常に感慨深く、兼家の表情はすべての重荷を下ろしたかのように温和になり、ただの近所の好々爺にすら見える。

兼家は人生を賭けた世紀の大立ち回りをやってのけ、敵が最後に仕掛けた罠も道長の素晴らしい冷静な判断によってことなきを得た。最後までどう転ぶかわからなかった一族総出のプロジェクトを無事終えたことを噛み締めるように、ひとことひとことに万感の思いがこめられている。

天皇陛下のもとにお仕えするもの」が(いわゆる外戚として)政治の実権を握る者。

外戚であるかどうかはともかくこの後鎌倉時代武家政権に至って「天皇の権威」は「形式的に武家征夷大将軍を任命する権威」にすり替えられ、これを任命されたものが政権を握る構図はその後、明治政府が成立するまで続く。

 

ついでのつぶやき:明治維新

ちょっとここで勝手に時代を幕末に飛ばします。だってパターンそっくりですよね。

あれほど江戸時代の間に零落し権威が地まで堕ち、御所も朽ち果てかけて誰も存在を顧みることのなかった京の都の天皇を、幕府に対抗しうる権威の象徴としてにわかに持ち上げたのはほかでもない尊皇派、翻って討幕派、のちの明治政府だ。

このような時代の風が吹き荒れる中ただひとり親幕派であった孝明天皇崩御するやいなや、急転直下に事態は動き出す。この不穏な空気を読んで先手を打ち大政奉還し、単なる400万石を持つ諸侯に成り下がって恭順の意を示す徳川慶喜を、討幕派(急進派)はどうしても打倒する口実が欲しかった。(過激討幕派は同日に討幕の密勅をとりつけていたのに、大政奉還を一瞬先に先手を打たれ、討幕という名目を失い足元を掬われた格好だったがそこから新たに起死回生の策として武力討伐計画を練ったという意味)

そこで奥の手として、慶喜内大臣官位剝奪と400万石全部召し上げと題し、また天皇に政権を動かす王政復古の大号令を秘密裏に密室クーデターとして敢行する(小御所会議)。(→この直後の武力蜂起=戊辰戦争につながる)

討幕派が手に入れたかったのは錦の御旗だ。

これと帝の存在を隠語として「玉」と呼んだりした。

どっかで聞きましたね、これ?

要するに寛和の変で三種の神器を清涼殿から持ち出し春宮のもとに移したのと、やってることは800年以上経っても変わらないわけです。

玉を得た方が官軍であり正義なのです。

この観念により天皇家は断絶せず滅ぼされもせず、存続できたともいえるだろう。政権を争う直接のターゲットにならなかったという意味で。

要するに、象徴としての天皇という存在を、誰が頂きにおいて政権を執り行うかということだ。この象徴を手に入れてさえしまえば、既成事実として官軍を自称できると考えた討幕派は決死の覚悟としてこのクーデター計画を練り、結果として討幕派が玉を移し奉ることに成功した暁には幕府は朝敵となって壊走せざるを得なかった。すくなくとも慶喜は武力で抵抗は全くしなかった。(個人的信念により武力抵抗した勢力(会津藩新選組、奥州列藩連合)がこの後戊辰戦争を戦うことにはなるが、それはあくまで個人的信念にすぎない)

 

兼家からまひろを見る目線

ここで兼家が安堵し一息ついたところでまさかの足を掬われかねない案件が向こうからやってきた。いいえ、足を掬われることなどあり得なく、ただ厄介な虫が飛び回って鬱陶しかっただけのようです、摂政兼家様にとっては。

まひろはここで無理と分かっていても一縷の望みにすがって兼家に目通りを願い出る。

倫子には「摂政兼家様はあなたのような方とは住む世界が違うのです、身分を弁えなさい」と上から目線で一刀両断に付されてもなお果敢に実行に移す。

あとで宣孝には「お前の豪胆さには恐れ入った」と驚かれる。

なんか周りから散々ないわれようだがごもっとも、常識人たちの述べるところがまったく正しい。まひろの肝の据わり方が半端ないだけで。

藁にも縋る思いとはこのこと、まひろは一所懸命に父為時の雇用は模範的なビジネスモデルなのだとプレゼンする。内裏において右に出る者はいない優秀な学者なのだから必ずや政権においてお役に立てるはずだと。

しかし倫子にも一笑に付されたのと同様、兼家にもまるで存在が視界に入ってないかのような、まるで前世からこの会話の内容まで決まっていたかのような、一分の隙もない断定のされ方で門前払いに等しい扱いをうけ、まひろは追い出されるのだった。

 

そりゃそうでしょうよ。

上記の為時の項でも述べた通り、為時は上司:兼家のメンツをつぶしているのですよ。

この期に及んで、しかも為時本人ではなく娘如きが頭を下げに来たところで何が変わるというのでしょう。そしていうに及んで「学問に長けているゆえ政権のお役にたてるかと……」などと的外れな熱弁を繰り返すようでは、これ以上喋っていたら兼家の逆鱗に触れるところでした。

面会に来ただけでも非常識、兼家が実際に邸に入れて案内してくれただけでも百歩譲ってくれているのに。

ということで、この回までは少なくとも為時とまひろ親子は全く政治勘のない堅物な頑固者として描かれています。

いやいや、しかしほんとこれから史実に拠れば10年官位なしのようですが、どうやって為時一家は生計を立てていくのでしょう……?

 

道長

上記の兼家の項で述べた通り、この時点ではクーデターの歯車の一員でしかない。政変成功の結果兼家の権勢は長兄道隆が継ぐこととなり、道長の立場にはいまのところ変化はみられない。ただ父と酒を酌み交わしその功を労われているところから、やはり兼家は道長を秘蔵っ子として目を書けているのだなということは感じられる。

道長の政治的身辺は、この後縁談により大きく動いていきそうなので、ここで触れるのはここまでにとどめる。

 

道隆と伊周・定子

さてクーデターで今の所恩恵を最大に受けているのが道隆一家、のちの中関白家だ。その長男伊周が長女定子さま(と次男隆家)と一緒に安部晴明に引き合わされ、その後宴の席となり晴明を下にも置かない歓待ぶりである。なんでこんな歓待してるのかというと、陰陽師の力によりこの家の運気を良き方にお導きくださいという意味だろうか。

そんな権勢家の思惑はさておき、安部晴明の応対することばはどこか義務的、かつ慇懃無礼だ。

晴明の態度を食えない呪術家だとでも読んだのか、伊周も返す刀で切りつける。

笑顔でいう言葉にすでに刃を隠そうともしない。

笑裏蔵刀しょうりぞうとうとは

兵法三十六計の第十計にあたる戦術。敵を攻撃する前段階として、まずは友好的に接近したり講和停戦して慢心させる作戦を指す。

孫子』「行軍篇」は「謙虚な言葉遣いでありながら軍備を増しているものは、進撃するつもりである。突然に講和を申し込んでくるものは、謀略である」と言う。

それへの晴明の返答も棒読みのテンプレ過ぎて場の空気が刺さって痛いが、兼家ひとりがこの丁々発止の目に見えないチャンバラごっこ(伊周は13才ゆえ、ごっこ遊びにすぎないのでしょう)をいかにも楽しそうに豪放に笑い飛ばしている。このくらいでないと政権を握ることはできないのですねえ(嘆息)。

水も滴る麗しい公達ぶりの伊周さまに並んでいるのが定子さま、御年9才……数え歳で10歳?

年齢がわからなくなってきたのでもう一回これを貼る。

 

定子様を晴明はじっと見つめ、……じっと見つめて……見つめ続け………

ひたすら見られて定子様もぎこちなさそうにしている。

晴明には、何か定子様に重ねて見えるものがあったのだろうか。

さすが陰陽寮を取り仕切る力をもった清明

でも何が見えたかは言わず、ただすなおに兼家・道隆一家に恭順の意を示す。

ここでほんとに見えたことを正直に口に出さずとも、個人的な主従関係において今言うのは得策ではない、と踏んだのだろう。なにせ花山天皇を陥れるクーデターの影の主犯、まったく油断できない。でも兼家も、それを百も承知のうえで晴明を利用しているのだからお互い様である。

 

道兼

ここで兼家・道隆一家のパーティに乱入する道兼。

僕が一番危険な役かつ肝心要なところをクーデターで押さえていたのに、ごほうびは全部兄上ですか!!ぼくへのごほうびは無しですか、それはあんまりですよ父上!!

という感じでなりふり構わず殴り込み状態、ああ、小さいお子様の定子様と隆家様、伊周様もまだ13才なのに皆さまその下品な振舞いに驚かれてドン引きじゃないですか、ちょっとは場を弁えなされませ道兼様………

とかいうツッコミもそこそこに兼家は慌てて道兼を連れ出す。場を取り繕っているつもりだろうが場が白けすぎて全然隠しおおせていない。なんですか、その別の場所というか、まるで体育館倉庫の裏みたいな渡殿の端っこは?やんちゃな次男は裏に呼び出してお説教ですか?

つまり、道兼にはそんなにごほうびを上げるつもりはないという意味ですね、兼家さま?次男の命運という意味ですか?単に便利な立場にすぎないのですか?そこをなんとか取りなして「自らなんとかするのだ」という方向にもっていく話術がさすがというほかありません。それを素直に元気よく受け取る道兼も不憫でなりません。

いや、ほんと俗世のすべてを手に入れて高笑いが止まらない様子の兼家にも弱点というかアキレス腱はあったと思えば、ちょっと人間味が増してほっとする。冗談抜きで。

兼家さまには気苦労が絶えませんで、ほんとにおいたわしく……(棒読みにて以下略)

 

詮子

このたびは懐仁親王さまがご即位され帝におなりあそばされるにあって、女御様は皇太后さま、東三条院詮子様とよばれるに至りてまことにお慶び申し上げます。

と思わず言ってしまう、詮子様の威容である。お召しになっている袿も金襴のまぶしい格調高いお衣装になり、ますます国母としての風格を備えられ………

ただ、7歳の一条天皇に「走らずに悠然と構えておられませ」とはあんまりの言いようで。運動不足になるじゃないですか、こんなだから当時の貴族はみな短命なのですよ。

 

……いやいや?詮子様は寛和の変までは、独自に左大臣源雅信とのルートを築いて父兼家には頼らないと豪語し、道長と独自同盟を結ぶ勢いでしたが、一条天皇が即位してしまうと、詮子さまとしてもそこが最終ゴールだったことに変わりはないわけで、やはり右大臣家の一員には違いないのです。

しかし詮子と左大臣源雅信とのルートは切れたわけではない。兼家も左大臣の権勢が増大することを恐れて藤原為光を右大臣に充てているわけで。

この間から言っていた、詮子お気に入りの三男道長左大臣家の縁談もボツでもなんでもなく、このままいけば滞りなくまとまりそうな予感がするのです、この第11回の中盤ですでに。だって兼家にもこの縁談には利点しかなく、進めておくに越したことはないからどこからも邪魔は入らないでしょう。

何より、円融帝に毒を盛っていたのが兼家で、兄弟皆それを知り黙認していたことが分かった時の詮子の逆上ぶりと、誰一人詮子に味方する声掛けもなかったばかりか全員がシラを切ってごまかしていたことを、詮子様は決して忘れてないと思われるのです。ただ、道長はほんとに知らなかった……ということです。

道隆様はすっかり権威を手に入れて、そんな昔のことはお忘れかもしれませんが。

でもドラマ見てる身としては決して忘れはすまい。

 

ゆるキャラにして愛されキャラ、みんな大好き道綱の癒しオーラ

道綱の母が兼家にいつものサブリミナルコール「兄弟方のご出世がめざましいですが、なにとぞ道綱の事も、お忘れなきよう……」とつぶやくなか、

「俺、もう蔵人にしてもらってるから♪♫ 高い位についても役に立つ自信ないし~」

武官から一転、五位蔵人として束帯に身を包み地道に仕事に励む道長の姿をみつけて

「どう!??しっかりやってるー??」

と、満面の笑みを振りまき明るく楽しそうな道綱。これは政略というのではなく身上の朗らかさというのか。

 

ほんっっっと自分は道綱様、この役を演じる上地雄輔さん大好きでして………!

実資様を演じるロバート秋山さんもおもしろいですが、あの方はシリアスなどうにもならない場面で「これはおかしい!」と叫ぶだけ、無力じゃないですか?

道綱様はこの陰鬱なドラマのゆくえ、登場人物それぞれが水面下の駆け引きに余念がないなか視聴者としては泥沼の物語から足を洗えずに沈痛な面持ちで画面を見る中、この人だけが癒しの存在なのですよね。

政治の駆け引きなど今も昔もそのようなものかもしれませんが、だからこそ彼の存在が底抜けに明るいおかげで、ドラマ見てても視聴者としては救われるわけです。

 

ただ裏表がなさすぎて、道綱母のサブリミナルコールも道綱本人の力量に限界があると思われ、あまり母の願いは届きそうにはなさそうで悲しいところです……

 

 

倫子の本音と赤染衛門

さて。土御門殿の倫子のサロンでは、今日も古今和歌集の講釈が赤染衛門によって開かれていた。

 君やこむ  我やゆかむの  いさよひに  真木の板戸も  ささず寝にけり

古今和歌集巻十四 恋歌四 読み人知らず)

現代語訳:あなたが来るか、わたしが行こうかとためらっているうちに真木の板戸も閉めずに寝てしまいました。

※いさよひ=十六夜ともとれるが、この場合「猶予ひ」とも言い、つまり躊躇するとか思い悩み戸惑うということを意味する。

 

倫子いわく「赤染衛門古今和歌集を全部諳んじているから。」

そこでまひろは、この古典的テキストに載っている恋の歌を作者の気持ちに立ち、一歩踏み込んで解釈して見せている。

「実は作者は寝たと言いながら、寝られずに待っているのではないか。」

つまり

「寝てしまうとそれは今夜は男が来ないと自ら認めてしまうことになるから惨めになるではありませんか。(やはり通ってくる背の君を信じて寝れずに起きているものです、恋する女というものは)」

赤染衛門先生はお嬢様からの信頼も篤く、「言葉の裏に込められた意味を感じ取れるようになりましょう」と有難いお話があった。

 

このドラマの端々に見える

「今は熱心に通い、自分を愛してくれているけれど、いつ殿のお通いが減っていって夜離れし、捨てられるかもわからない。」

という、通い婚ならではの、男女の関係とはいえ女性はじっと待って夜を過ごさなければならなかった寂しさと悲哀がこの歌にもしみじみと詠みこまれている。

倫子のような雲の上の身分の高い女性でないかぎり、いや身分が尊い女性であっても、というか身分が高い女性こそ、男性のお通いが絶えてなくなるのはプライドが許さなかったであろう。

源氏物語にも出てくるではないか、前の春宮妃であった六条の御息所と光源氏が恋仲となるが、まだ若かった光源氏は次第に町の小路の気安く訪ねられる女(=夕顔)の家に通うようになり、また正妻の葵上もおり、通う足が遠のく光源氏にすがることもプライドが許さず、………

そうこうするうちに生霊となり夕顔に取り憑いて亡き者にしてしまう……

源氏物語に出てくる女性たちの悲哀には、こうした当時の結婚観を半ば諦観をもって眺めている紫式部の無常観みたいなものが通奏低音みたいに流れている。

 

※サロンで解説する赤染衛門当人はといえば、大江匡衡とのおしどり夫婦で有名で仲睦まじい結婚生活を送っていたので、夫に捨てられる女性の悲哀を詠みこむと彼女の口から言われてもいまいちピンとこないが。

 

そこでまひろを特に呼び止めて、除目から落ちてからの家の状況などまひろの暮らしぶりを気にかけて下さる倫子さま。政治的には左大臣家にできることは何もなくても、でもまひろの状況さえ許せば倫子のサロンには遊びにいらっしゃいと気軽に言うなど、こまやかな心遣いがやはり繊細な人柄を現わしていて、またまひろの突拍子もない言動にはやさしく諭されるなどおおらかにして度量の深さをも併せ持つ。邸の奥、深窓でサロンの恋話に興じているだけの姫ではないようだ。

なぜなら、摂政兼家は従一位、そして倫子は左大臣家の一の姫であり、自分の結婚相手がじゅうぶんに政治的に大きな意味を持ってくることを分かって物を言っているらしいからだ。なぜなら倫子と結婚するということはすなわちこの土御門殿をも継承することを意味するからで。

それは政治的アドバンテージとして若い貴族には計り知れない意味があるだろう。

と、こういう背景をにおわせながら、倫子は突如「わたくしが好きなのは猫ばかりと両親は思い込んでいるようですけれど」とか言いながらまひろに好きな男性がいると告白してくるのである。

倫子の婿取りが当時の結婚適齢期より大幅に遅れているようではあったが、上記の事情により、求婚者は山のようにいるはずで、倫子にしてみればよりどりみどりの状況だし。

何よりまひろには倫子の好きな男性というのが気になって、愛想笑いもついつい笑顔が張りついてひきつってしまうまひろ。

こんなところで伏線を引っ張っても意味ありませんね、倫子が正妻として嫁ぐ(というか婿にもらう)貴族というのは道長のことです。

史実というか真実はどうだったかわかりませんが、このドラマの世界線では(若い頃の)道長の本当の想い人はまひろです。

しかしそれは実現できないという前提で、このあとふたりの逢瀬がふたたび描かれていたが結局どういう結末となったのか。

 

 

恋の顛末

道長とまひろの思いが通じて以降、ドラマの筋立ては政治パートと恋愛パートの二本立てで進んでいる。政治パートは最大の転換点を過ぎ、これからは勢いをつけて一足飛びに進んでいくと思われる。つまり兼家の権勢がこのうえなく大きなものとなってくる時代だ。

では、まひろと道長2人の恋はどこへ向かうのだろう?

もうはっきりと結論は出ているともいえるが。2人の身分を考えれば言わずもがなである。しかしあえてここで台詞に明文化されていたので振り返ってみる。

道長の気持ち

このドラマの世界線では、道長とまひろは両思いである。それを前提として道長にはあまり悩みがなさそうだ。

そりゃそうだ、いまのところ右大臣邸にいて生活の心配はなし。

そのうち正妻が決まればそちらに生活拠点を移し(ていうか正妻とかいう家柄が大事なのはどうせ父兼家が決めてくれるだろう、そういえば左大臣家の姫とかいってたな……くらいの意識でしょうし)、そこから気になる女のところに通えばいい。

通う先の女は何人いてもいい。

息子と娘は多い方がいいのだから。娘は入内させれるし、子供は多ければ多いほど自分の掌中にある政治勢力として多数派を形成できますからね。兼家一家を見ててもわかりますよね。

まひろも通う先の女の一人としていてくれればいいんだよ。つまり側室というか身分的に妾だけどいいよね、なに、衣食住の心配なんかさせないよ、一生面倒みるから……

え……なんかダメなの?何がダメなの??

っていう意識かなあ。

だって直秀がまだご存命の回で、いつだったかまひろと道長が六条で秘密裏に会って話してて、土御門殿の住民に見かけられるといけないから別々に帰ろうというまひろに、「なんで見かけられるとまずいの???」って道長は全くわかってなかったもんなあ。まひろには身分違いの相手、道長と会ってるのなんかばれたらスキャンダルでしかないもんなあ、妾になったのかとか言われそうで、いやだったんだろうなあ。

道長にはそんな悩みとかは全然なさそうだなあ。

 

まひろの気持ち

さて、そんなお気楽な男性貴族の道長はさておき。

まひろの苦悩がこのドラマにやはり通奏低音みたいに流れている。通ってくる男を待つしかない当時の貴族の結婚。お通いが絶えればそこで関係は終わり。北の方ともなれば邸の北の対とかに居室をもらって一緒に住めますが、まひろと道長の身分の差ではそれは生きてるかぎり叶わない夢でしょう。

当時の紫式部が考える恋愛観、結婚観が源氏物語に反映されているとは思われるが、それが実体験に基づいたものというか物語執筆までに恋愛経験はあるだろう(というか結婚と出産を経てたような)だからある程度リアリティがあるのはまあわかる。

で、その相手が道長になってるから今回のドラマは筋書きがややこしいわけで。

 

とにかくまひろと道長は両思い。

道長はまひろと恋愛関係を続けていくことに躊躇がない。

でもまひろはこれ以上この関係は耐えられない。

だって逢瀬の場所が六条の廃屋敷ですよ?

幽霊出てきそうですよ?

まひろは、自分を一番に見てほしいんですね、好きな人に。たぶん。

………え?中学生ですか?

あ、まひろは16~17才か、まあ一緒みたいなもんでしょ、当時としては結婚適齢期ですが、だからこそまひろは結婚に夢を持っていて理想を捨てきれなかったのでしょうか。

 

こんな家族にも世間にも伏せなきゃならない関係で、廃屋でしか会えなくて、そんなの嫌なんですよたぶん。まるで世の中に言えない関係みたいじゃないですか。あ、世の中に言えない関係なのか。えええ?そんなのイヤだ!ってなったんじゃないのかな。

(まひろの理想の世界)ちゃんと結婚の際には3夜通ってくれて(という決まりだった)、3日目の朝には所顕ところあらわし(家庭内の発表的なやつ)として三日夜餅を一緒に食べて…両親にも面会してもらい、邸の女房や従者たちにも妻として認めてもらって……

そうしたらいずれ妻としてちゃんと邸内に対屋を一つ与えられ北の方として正式に迎えてくれて、ほら道隆の妻高階貴子様みたいにね?

そういうの女子ならみんなあこがれるじゃないですか。

結婚ってこんなのかなあ?みたいな。

 

自分はわかりますよその気持ち。みんな白いウエディングドレスとか白無垢とかにあこがれるのといっしょですよ。

そういう女子ならではの夢を一笑に付すとかしたくないですよ。

大切な憧れの気持ち無碍にしたくない。

 

「君の事は何人目かの妻としてだいじにするからさ」

てことでしょ?何人目かだけど、正妻はほかにつくるけど、ほんとに好きなのは君まひろだよってことでしょ??

親の顔よりよく見ますよそういうセリフ((笑))。

古今東西、世の中の男がいつの時代も女にそう言い寄っては舌の根も乾かぬうちに別の女の所へ通ってそう言うんですねわかります。

 

まひろの中にはきっと「蜻蛉日記」がフラッシュバックしたことでしょう。

道長に説得され、情にほだされそうになってはっと我に返り、まひろは叫ぶ。

『北の方じゃなきゃ、嫌!!!』

《幻の副音声:あんな女の盛りを過ぎて夫に顧みられずに一人寝が寂しいと言うような悲しく寂しい人生は送りたくないの!》

………なんかまひろの心の声が聞こえた(妄想)。

PTSDですか、まひろさん。

かわいそうに……(´;ω;`)

その他にも、まひろが小さい頃に女の所へ通っていた父為時。夫が冠俸給もない中窮乏に苦しみながらも家に尽くす母を蔑ろにしていた(ように見えた)父為時。

もう枚挙に暇がありません。

そういう時代(一夫多妻制の通い婚)だったのだからしょうがないですが。

でも今は、まひろの気持ちを大事にしてあげたいんですよ視聴者としては。むりやり有象無象の数ある妻のひとりとして埋没していくなんて……

かわいそうです。

 

 

宣孝の言い分

緊張した政治の駆け引きや、情感あふれる弦楽器のBGMに混じって、このパートがおまけというかコントのように付属している。

さて為時が官位を失ったことでまひろはどこか働きに(=女房として出仕口を探して)出ようかと口にする。

それに対し宣孝は言下に否定する。

「なに出仕などして働かずともよい。そなたが婿をとればよいのだ。北の方にこだわらなければいいのだから。そなたは話もおもしろいし漢才や詩歌の心得もある、じゅうぶん婿の候補はいくらでもいることだろう、あ、器量は、まあまあ良いのだし!?」

 

わあ……宣孝様、まひろの地雷原を踏みましたね……

言っちゃいけないことを言いましたね…

北の方の座なんてどうでもいいって、言いましたね…

だめですよ女子にそんなこと言っちゃ……

 

さらに宣孝が持論を展開することには、

え?妾はイヤだ?何を言っとる、わしにも幾人も通う女はおるが、みんな一様に大切に思うておるぞ。だ~れからも異論は出ておらん。なに、大丈夫だ」

 

わあ・・・・

宣孝様、これで全女性を敵に回しましたね……

あ、一夫多妻制なんだからこれが当時の一般常識なんでしょうけど。

でもね、女たちが一様に、他の女のもとに通う夫君の背を快くお送りしてたとお思いですか?そんなの悲しいにきまってるじゃないですか。

みんな夫の背にすがって、衣を引きちぎらんばかりに握りしめて自分のもとに居てほしいと言いたいのを、世の常識とやらに縛られて口に出さないだけのことです。

 

黙って待つしかできない女の苦悩は、これから源氏物語に色々な姿で描き出されることになるだろう。その背景には、史実にはないけどやはりこうした実体験があったのだろうと思わされる。