歴史と本マニアのための部屋

歴史、政治、本、あと吹奏楽関連のつぶやきです

第4話「五節の舞姫」 大河ドラマのlightな感想 光る君へ

 

脚本が登場人物の心理を丁寧に描写していて、また会話もごく自然に登場人物の設定に溶け込んでいて違和感なく、見ていて飽きない。

 

時代劇や歴史ドラマを見ていると時代考証にツッコミを入れがちな性格なのだが、今回の大河ドラマを見るにあたっては、そんな面倒な限界ヲタクな性質はひっこめとくことにした。

すんなりと世界に入れる気がしてきたので。

 

ひとつひとつの台詞に説得力がある。

それらが、この難解であまり耳になじみのない時代の描写に、躍動感あるきらきらした生命力を吹き込む。

 

手に汗握るドラマの展開にハラハラする。

俳優さんの演技にただただ息を呑み、圧倒される。

含蓄に富む一瞬の表情、万感の思いが込められた演技。

ドラマのせりふに名言、名演が多すぎて一瞬たりとも目を離すことはできない。

 

視聴者は物語のあらすじと結末はある意味知っている。

しかしフィクションであるとはいえ当時を生きた人たちのそれぞれの思い、立場、また日々のなにげないつぶやきを、臨場感あふれる手法で鮮やかに描き出すことで年表の味気ない間隙を見事に埋めている。

こういう歴史の影に埋もれて見えない人々の心の機微を観たくて、大河ドラマを見ているのかもしれない。

 

目次:クリックで各項目へ飛べます

 

 

 

身分

第四話の冒頭でまひろは自分の身分を明かす。

道長にとっては、平民でないとは思ったものの上流貴族ではないのだなという印象をもった、そんな表情に見えた。

そして藤原宣孝が途中でまひろを迎えにきたことで道長は「本当だったのか」とでも言いたげな表情。

 

散楽の主宰である直秀は、散楽の中でも道長に対し「弟よ~」と声をかけていただけに正体を知っているようで

「右大臣家の横暴は内裏の中だけにしろ」

とくぎを刺す。

 

大臣家の横暴もあるけど、直秀は率直に道長とまひろの身分の差を指摘していたのではと思う。当時は通い婚で思いを寄せる女性の邸に男性が通い、結婚となるのが常だった。女性の家の格式が高ければ正妻となるが、身分の低い家の娘は側室、妾として早々に打ち捨てられることも多かった。通い婚だから男性が通ってくれなければそれで関係は終わってしまうからだ。

直秀には道長に遊ばれて捨てられるまひろの未来が想像できたのでこのような忠告となったのだろうか。今を時めく右大臣兼家の子息ともなれば、通う女性には事欠かなかっただろうと思われてそうだ。

兼家のやりかたに眉をひそめてる感のある道長には、「右大臣家の横暴」というワードは必要以上に心に突き刺さったということか。

あー、ワイドショーの特ダネ的なスキャンダルはワイドショーの中でやるもので、道端で気軽に口にするなという事ですね。

 

道長とまひろのエピソードはドラマの中でも数少ないほのぼのとした癒されるシーンで見ていてほっこりする。

 

しかし。

現実の道長の人格はどうだったのかは詳しくないのでしらない。

そしてドラマの中での道長が今後どのように成長していくのかはまだ分からないけど。

兼家の横暴というのは的確な指摘である。(公卿以上の位、殿上人しか伺候できなかった内裏での政治の向きを、なんで路上の芸人の直秀が知りえるのか、内裏にスパイでも放ってたのか謎だけど)

 

身分の高い家でも、それなりに格差はあった。

 

ここで藤原氏家系図を貼ってみよう。

(旺文社古語辞典1988年版のコピー)

奈良時代から見てみると藤原氏の北家のみが平安時代に主流として残っていたことがよくわかる。北家の中でも良房に連なる九条流が実権を握り、為時は良門の血筋になるため傍流であった。

 

登場人物が藤原氏だらけなのはこれを見ればだいたい納得がいくだろう。

花山天皇の叔父である義懐、そして道長と勉学の席で顔を並べていた斉信、公任はそれぞれいとこ同士。さらに義懐の甥が行成

へえー。ややこしいですねえ。

第3回、三男の道長に兼家が叱責してて今が大事な時と諭されても道長は「私は三男ですし~」とのらりくらりやってるのに対し、道兼は「わしも三男じゃ!!!」とさらに雷が落ちる。

そう、兼家は三男だ。兄弟の伊尹、兼通、為光の動向を考えると、兼家のこのときの焦りもわかるというものだ。

ちっとも安心できない(by兼家)。

その通り。

 

 

ここで通い婚に話を戻そう。

妻の邸に男性が通うのが通い婚。

男性は成人すると独り立ちし、そして通う妻の家の権力、財力をバックに出世していくのがセオリー。

現に道長の兄、嫡男の道隆はすでに独り立ちし、聡明な妻(高階氏の)貴子姫を正妻に迎えて、政治的にも揺るぎない地位を手に入れ(これは道隆自身の器量によると考える)、また子女の定子さまもゆくゆくは懐仁親王に入内させるつもりで英才教育をほどこしているようだ。

まさに順風満帆、非の打ち所がない出世街道を邁進中のエリート中のエリート。

 

逆に考えると、見込みのある若い公達に目をかけて自慢の姫と結婚させ、出世の手助けをするような野心のある高位の政治家もいると考えられる。

っていうところがこれからのドラマの伏線だと思うのだが想像に過ぎないので、これからの展開を楽しみに待ちたい。

 

 

宮中の風景

身分の高い人たちによる鍔迫り合いのシーン。

今回の話でこの世の春を謳歌しているのは、花山天皇外戚として実権を握った叔父の藤原義懐よしちかと乳母の子の藤原惟成これしげ。彼らによる政治は失策であったかのようにドラマでは描かれているが、実際に花山天皇は政治に暗かったかというとそうとも言い切れない。

とにかくそれまでの政治の中心にあった人々を蔑ろにするという意味では右大臣家を凌ぐ横暴ぶりで、堅実な政治の運営が行われているかというと怪しくなってきた。

 

このように政権の中枢にいる人たちがこのありさまなので、彼らは民衆の生活など考えてなかったことがよくわかる。

第3回の道長が放免に捕まり釈放されたあと、兼家と道長の会話にもあるように

道長「民衆の暮らしを理解しようとして……」

兼家「政治を行ううえでは民衆のことなど知らない方がいいこともある。知ってしまうと政策の断行の妨げとなる」

という感覚が当時の一般常識だったようだ。

要するに民主主義じゃないのだ。

主権は民衆にはない。政治は身分の高い人により、身分の高い人のために行われるものであって、民衆のあずかり知ることではない。福祉とか医療とかいう発想もない。

福祉とかを言い出すには社会がまだ成熟してなくて他の人のことを気にする余裕は(民衆の)誰にもなかったし、医療はまだ当時呪術とか祭祀と切り離されていなかった。

帝の退位、即位の日取りも陰陽師が占いで決めていたように、貴族は普段の生活のすべてを占いに頼り、何か体調に不具合があると怨霊に憑かれていることを疑って祈祷する。

 

このように様々な点で現代とは違う平安の世だが出世のためにはコネとか賄賂まがいのことが必須という意味ではいつの時代も変わらない。

実力がある者が出世するとは限らない。

しかしそんな中、実在の人物として実際にそんなに出世しなかった藤原実資さねすけ蔵人頭くろうどのとうとして登場している。

今回も、花山天皇が即位する前に、宮廷でこれからも蔵人頭を務めてほしいという声掛けに、慣例が無いことを挙げて実直に辞退を申し出る実資。

なんでだ、公卿くぎょうならみんな喉から手が出るほどほしい頭中将とうのちゅうじょうのポストだぞ、そのまま出世コースに乗れるエリートのはず、それを次の御代では辞退するって信じられない。

 

彼は実務家としての手腕があるから何をやってもうまくこなせるはず。しかも次期天皇の覚えもめでたいとなれば出世は約束されてるのに、なんでそれをみすみす捨てるようなまねを?

この辺が史実だったかどうかは知らないがこの場面、実資の性質をうまく描いてると思う。また逆にこのあと外戚として実権を握る春宮の叔父義懐と乳母子藤原惟成が、かんしゃくを起こした春宮に冠を取られるという辱めを受けているところに、彼らの立場の滑稽さがよく表れていると思う。

 

この後、藤原文範ふみのりが兼家にそつなく祝辞を述べに参上している。彼は当時75才、宮中でも長老的な存在だったのか、時流をよく読んでいるというか。

花山天皇外戚である藤原伊尹これただ(兼家の兄)も生母の懐子もすでに亡く、即位時に後ろ盾の貴族はいなかった。

それよりも文範(と共にぞろぞろと追随する公卿の面々)は、次期天皇である春宮の外戚、兼家に挨拶しておくほうが今後を考えるとそれぞれにとって身のためだと考えたのであろう。

次期天皇は誰か、誰が先に妃を差し上げるか、どの妃が先に皇子を産むか、それによって政治の流れが変わるのだから、今の天皇に政治的に側近として尽力するなんて無駄な骨折りだと考えられていたのだろう。

今の天皇の先の先まで考えていないと政治家としてはやっていけないという意味だ。

実資とは別の意味で、花山天皇は彼ら公卿の視界には入ってない。

 

 

詮子の哀しみと恨み

この展開はドラマでのフィクションと思いますがあまりにもストーリーに首肯するところがあったのでそのまま感想を書く。

帝の退位が決まったと耳にして、東三条院で端近のひさし(縁側)でくつろぐ道長のもとにいそいそとかけつける詮子。帝のいる内裏へ参上する話題とあって、まるで少女のように気分が浮き立っているようでいかにも可愛らしい。それにいつものように気取らず対応する道長との会話がほんとにこのドラマの唯一の癒しどころで、道長なしにはとてもこの番組は見られたものではない。

こんなのん気そうな道長が今後どうやって出世していくのか、さっぱり想像がつかない……。

 

しかし帝のもとに参内した詮子は、鏡で自らの容色の衰えを気にしながらも話題にするべきはそこではなかった。(鏡は貴族のみが手にすることができる貴重品ではあった)

ここで兼家と道兼が密かにおこなっていた謀略が明かされる。

(今はやめているが)帝の食事に毒を盛っていたこと。

第三回で帝自ら藤原実資に明かしていたように、確かに帝の第一皇子、懐仁親王を即位させるという意味では円融帝と兼家の利害は一致していた。ただその一点だけでだが。

しかしこの謀略に詮子も加担したことにさせられて、「お前のことは生涯許さぬ。二度と顔を見せるな、鬼めが」などと罵られるいわれは決してないと思うんですが。まあ結託していたと思われても仕方ないところではあるけど(利害関係という意味では)。

考えてみよう。

15歳で入内し、他に男性も知らない詮子にとっては帝はただ一人の夫なわけで(一般市民的な言い方をすれば)。

 

兼家とその息子三兄弟は性懲りもなく(あえてこう表現する)、自分たちの後見する懐仁親王を帝の位につけるにはどうしたらよいか画策している。彼らが出す案を見てもこの人たち救いようがないなと思うし、道長はそんな彼らを心底嫌悪しているようででも自分の立場ではどうしようもないという風である。

そこへ怒鳴りこむ詮子さま。

背景の廊下に二人ほど音もなく女房が渡殿を進んでいくが、彼女らは懐仁親王さま付きの女房だろうか。するとそれは詮子の命令だろうか。この悶着騒ぎの最中にも、春宮となった親王様に何かあってはならないからとでもいうかのように。

詮子さまはここで父兼家と決定的に訣別したようだ。

そしてこの企てに加担したであろう三兄弟にも。

信頼していた道長も一味なのだろうか、その表情からどのように読み取ったかは判然としない。

そしてこのあと何事もなかったかのように酒宴を仕切り直す兼家の神経も、信じられない。

 

道長と詮子は元服前の三郎だった時代から、唯一気さくにものを言い合えた仲、このような嫌疑は父に決定的な疑惑が向いたとはいえ、道長のことは心のどこかで信じていたはずだ。

兼家はやりすぎだったといえるだろう。

その後の歴史を知っている立場としては、兄道隆とともに、あまりにもあからさまにやりすぎたのだ。

彼らは何もかも思い通りになると、あまりにも奢り過ぎた。

「薬など生涯飲まぬ」

その通り。薬など飲まなくても、彼女はこれからの歴史を長い人生の中でずっと見守っていくことになるのだ。

(※そもそも薬自体が上流貴族でないと手に入らない高価なものだったし、また薬自体の定義もまた曖昧だったが)

 

 

貴族のあそび

兼家の躍進を見越して、左大臣雅信まさざねは娘の倫子に花山天皇への入内をもちかける。

しかし一夫多妻制で多くの妻へ通うことが通例であった時代、帝も後宮に多くの妃を迎えていた世とはいえ、花山天皇の女性関係での放蕩ぶりは広く知れ渡っていたと見えて倫子はすげなく父の頼みを断るのであった。

「あの女子好きで名高い次の帝に入内して、幸せになれるのかしら」

雅信は奥様の穆子様にもあきれられている。

「今更……娘は出世の道具にはしない、入内はさせないとあれほどおっしゃっておられたではありませんか!!」

 

その通り。

もっと言ってやってください。

入内のタイミングも年齢も、全て倫子には遅すぎるのだ。倫子は現在22才、適齢期には遅い。そして次の春宮様はまだ10歳に満たず、年齢がつりあわない。

しかし源雅信はこれまで、娘の結婚に一向に慌てて動く気配がなかったのに、この期に及んで兼家の権勢を見て思いついたように娘に入内の話をするとは。

なんて浅はかなのでしょう。

帝へ娘を入内させる貴族たちは、みな深謀遠慮の中で相手の出方をみながら政治の流れを読んでいるのだ。

そんなところに思いつきで割り込めるものではない。

 

奥様の穆子様のほうがよほど落ち着き払って貫禄があり、頼りがいがある気がする。

 

さてここで倫子が抱いていた首にひもで繋がれた猫。今も昔も猫は人と近い動物で、源氏物語にも女三宮と柏木の帖で猫が登場する。ここで倫子が肌身離さず可愛がっている様子はいかにも身分の高い姫という雰囲気をかもしだしている。

(平民も猫を飼っていたのかどうかはよくわからないが平安時代の文学には猫がよく登場する)

彼らが遊んでいるのはすごろく。

現代の、紙に書いたコースを進んでいくのではなく、ちょっと仕組みが違う。

※遊び方は下記のリンク参照。

双六 | 玉川大学教育博物館 館蔵資料(デジタルアーカイブ)

 

正倉院に原型として伝製品がいくつか遺っている。

正倉院 - 正倉院

 

宿直の場面で道長や公任たちが遊んでいた囲碁と共に、貴族の遊びとして当時流行していた。

このすごろく遊びでも娘に負かされたのか?思い付きの入内の話も一蹴されて面目ない様子の雅信。どこか詰めが甘く憎めない人柄。

 

登場人物がみな公卿の一人までも個性がはっきりしていて、見ていて飽きない。

 

 

五節の舞姫

当時の文学にも登場する宮中の行事五節の舞のことだ。大嘗祭おおなめまつり新嘗祭にいなめのまつりに行われる豊明節会とよあかりのせちえで奉斎される舞である。

源氏物語では光源氏の乳兄弟、藤原惟光の娘で藤典侍が五節の舞姫として差し出されている。公卿や殿上人など貴族の娘が指名されていたが、貴族の女性は顔を人前に出すことはなかったので次第に中流以下の貴族の子女から指名されるようになっていたようだ。

倫子ほか左大臣家が危惧したように、人前に容姿をさらせば多くの公卿の目にとまり、あらぬ方から求婚を受けたりしかねないし(この場合は帝の目に触れることを恐れて)舞への出仕を上流貴族は控える傾向があったといえる。

 

大嘗祭おおなめまつりとは新天皇が即位(現代では国事行為となる即位の礼の各儀式が終了)した後に新穀を神々に供え、自身もそれを食する。その意義は、大嘗宮において、国家、国民のために、その安寧、五穀豊穣を皇祖天照大神及び天神地祇に感謝し、また祈念することである。(引用:大嘗祭 - Wikipedia )

花山天皇即位後の大嘗祭においての舞。

ここでまひろは道兼と道長を公卿の席に見出し、彼らの本当の名前と地位を知ることになる。

 

それはさておき、この舞、そして衣装はドラマのキービジュアルにも登場していて、当初から楽しみにしていたのだけど聞きしに勝る華やかさ。

舞の練習の場面ではまひろはしょっちゅう間違えて他の出演する姫たちに失笑をかっている。しかし畏れ多くも帝も臨席する宮中の行事で奉斎するのだからちゃんとやってください、まひろさん。いつも歌とか漢詩はあんなに鮮やかに操るのだから、舞や管弦の楽器をよくするのも貴族の姫の必須技能(上流の)としてちゃんとこなしていただかなければ。(乳母の台詞ふうに)

実際に唐衣裳を装着した十二単はこのような正装だと30キロくらいあると聞いたので舞が大変なのも分かる気はする。

衣装の紋様も宮中行事らしく、まひろの紫の唐衣の下に着用した袿(?)には金で鳳凰が描かれている。

そう、このドラマ公式サイトの上部バナーに使われてる、一番最初に公開されたビジュアルで吉高由里子さんが着用されてる衣装のことだ。

 

ほかの姫君たちの衣装も色違いにして唐衣裳に冠もつけた正装だ。

紋様も当時使われていたであろうものをきちんと踏襲している。

衣装に予算を全振りしてる感は、最初の思い込みではなくほんとだなと思った。

 

衣装とともにリアルに再現されていると言えば、屋敷の寝殿造り。

(引用:5. 貴族の生活 | 世界の歴史まっぷ )


これは東三条殿=つまり今回ドラマに登場する兼家の右大臣邸を再現したもの。

寝殿(正殿)は主人の生活の間、北の対には正妻が住まい(だから妻を北の方という)、東西の対その他には家族が住む。家の中といえどもそれぞれに付き人として女房がつき、やりとりは文で行い、特に女性は家族と会うにも御簾越しで顔を見せることは少なかった。

左大臣家の土御門殿も同様の規模を持っていたとみていいだろう。

数多くの殿舎は渡殿=屋根付きの廊下や橋でつながれ、庭園には大きな池と釣り殿を排していた。

だからといってここで魚を釣るわけではない。

貴族たるもの、断じてそんな下々の者がやるようなことはしない。

 

池には紅葉や桜の季節、そして管弦などを催すときの宴で、管弦(=雅楽)の楽団を船に載せてそのさまを寝殿の御簾越しに、また男性貴族は簀子縁に並んで鑑賞するという趣向だった。

そして招待された貴族は釣り殿などからもこの雅な宴を鑑賞できたというわけだ。

このような宴はその時の権勢を誇った貴族の大邸宅で催され、目的は貴族の子女のお見合いだったりもした。そこで御簾越しに披露される姫君の管弦の音色に耳を傾け、招かれた男性貴族は求婚の歌を贈る。

 

未来のネタをバラすコーナーにつき閲覧注意

 ↓

 ↓

 ↓

 

ここから以下、未来のネタ(あくまで歴史上わかってる筋書き)でネタバレになります

 

 ↓

 ↓

 ↓

 

ご了承いただける方はこのままお進みください。

楽しみにしていたいという方はここでお戻りください。

 

 ↓

 ↓

 ↓

 ↓

 ↓

 

ほんとうにいいですか?

 

 ↓

 ↓

 ↓

 ↓

 ↓

 ↓

 ↓

 

では以下、(たぶん未来の)ネタバレです。

兼家の息子、三兄弟の筆頭である道隆には正妻高階貴子、そして娘の定子様ほか嫡男、その他子女多数がいるはず。道兼も後に妻をめとることだろう。

 

そして道長は正妻として左大臣家の倫子に求婚するわけですが、倫子は年齢的にぴったりの花山天皇に入内する話がちらっと父源雅信から出るもすぐさま否定されている。

そこで道長が求婚するにあたって、どのような場面が設定されるのか考えるに、惣領姫である倫子に求婚するからにはこの土御門殿を継ぐわけで、そのお見合いの舞台も当然土御門殿になるだろう。そこで、管弦の宴とかを左大臣家主宰で開催し、多数の公卿が招かれて求婚の歌を贈る貴族の中の一人として道長は登場するのだろうか…?

とか思うわけです。

 

倫子は自身のサロンで、まひろの突拍子もない発言に時折ノリで返事してしまい赤染衛門に叱られてはいますが。

赤染衛門先生がついておられると思うと倫子のサロンもこの先安泰だと思う。

しかし上流貴族のサロンの主人として、倫子は誰であっても丁寧に接してさりげなく気を遣い、鷹揚に場をまとめることのできる、知性を備えた聡明な姫として描かれている。

まひろの発言にやんわりとくぎを刺し、このような場では言ってはいけないことの区別を暗に諭しながらも場の雰囲気を明るく変える、そのようなことができる聡明さ。

 

手段を選ばない右大臣家の面々と比して、左大臣家は人格と品性ある家として位置づけられている。

左大臣家は屋敷の調度も几帳など明るい色で、庭園には季節の花を配した御所車が華やかだ。

対極にあるふたつの家だが表立っては対立していないようで、そんな中、どのように左大臣家と道長は接近していくのか……?

このあたりから、そこに注目してみていきたい。