★★このブログは、普段はネットピアニスト「ござ」さん単推しとなっています
★★よって今回の記事は番外編です
★★クラシックに全く知識のない人が書いています
★★ご了承ください
目次:クリックで各項目へ飛べます
きっかけ
先日9月14日のこと。
自分は岡山にコンサートに行っていた。
聞きに行こうと思ったのは、Twitterで見かけたこのお知らせから。
一瞬思った。
「まだチケットあるんや!?」
ポーランド国立放送交響楽団 岡山公演まであと6日🎵
— TSCテレビせとうち (@TSC_TVsetouchi) 2022年9月8日
S席は完売目前でイープラス、もしくは岡山シンフォニーホールチケットセンターのみとなりました🎫
またA,B席とも各プレイガイド残数わずか‼️お急ぎ下さい。#角野隼斗#かてぃん#ポーランド国立放送交響楽団#テレビせとうち https://t.co/HfuNiKz1TX
自分は普段、ネット上でピアノ動画を聴いているのだが、その中で噂に上っていたかてぃんさんが今回の公演のソリストだった。
というより自分がチケットを買った決め手は、交響曲が「新世界より」だったからと言った方が正しい。
さらに。
うどん県の片田舎在住の自分でも、岡山シンフォニーホールなら日帰りで行ける。
海外オーケストラの地方公演でこの値段、S席でなければ格安チケットといえる。
その日は偶然有給を取っていた。
と思ってチケット状況を見ると、隅っこの席がまだ残ってた。
クラシックのピアノ曲はあんまり知らない。小さいころエリーゼのためにが弾けたくらいでよくわからない。
とはいえ、行くと決まれば前もって予習?したいというものだ。普段聞かない奏者だからよけいに。予習というか自分の認識の振り返り。
細かい事は抜きだ。
とにかく生演奏の迫力と臨場感は画面、スピーカーを通して聴くのとは全く別物だからだ。
そう思って、近所の自衛隊駐屯地で年に一回の一般開放日には必ず吹奏楽団が演奏するので聞きに行っているし(最近コロナで行けてないけど)。チャイコフスキーの序曲1812年が生で聴けるレアなチャンスだから。しかも曲の中で使われる大砲は、実物の空砲が鳴るという迫力。
母校の高校の文化祭も要チェック。今年、コロナ流行後ひさしぶりに聴く機会があった。彼らはあくまで部活動の範疇だけど、日々練習を積んでステージに立つというプロセスは楽器の演奏に携わるシーンではみんな同じことをやってるわけで。プロのステージと違って合間の漫才MCから衣装やダンスの演出から全部生徒たちで作る舞台は手作り感があるなか、演奏はさすが本格的、圧倒される。
何の楽器のどこの演奏でも、生演奏というのは理屈抜きで人々に訴える問答無用の説得力を持っている。同じ空間で響く音というのは、何らかの説明しがたい目に見えない力がある。CDの売り上げやTVでの歌番組が低迷していると言われてから久しいが、歌手やロックバンドのライブはコンスタントに盛況な業績をキープというかさらに盛り上がりを見せている。音楽を聴く者は皆、生演奏の魅力、それを体感して知っているからなのだろう。
プロのコンサートは自分も久しぶり。今回偶然からの思いつきだけど、生演奏、しかもプロの管弦楽団を聴けるという、もうあるかないかわからないチャンス、とにかく楽しんだもの勝ち。
海外の楽団なんて、学生時代に倉敷市民会館でギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団聴いて以来。というか岡山へは通学してたので電車の車窓も別段珍しくない。シンフォニーホールも、地下の書店の丸善も懐かしい。目にする景色は当時と変わらない。
有給取ってたから早めに出発。
イッテキマース pic.twitter.com/cTLjDFGsgF
— かまたまうどん (@pEcXkXhkAeo0D6t) 2022年9月14日
って到着早すぎる問題。
着いた🙄(早っ)
— かまたまうどん (@pEcXkXhkAeo0D6t) 2022年9月14日
その辺ぶらぶらしよっと pic.twitter.com/NMLR5AlbiJ
近隣の後楽園もよく知ってるというか講義で勉強したくらいなのでそっちの観光はせず、ここの正面階段の裏のベンチエリアで延々と上記の予習記事をスマホとキーボードで書いていた。どこから見ても怪しい人。服装も垢抜けなくてまさに不審者。(夕方になりぼちぼちお客さんが集まり始めたため怪しまれる前に撤退)
娯楽としての音楽
世代を超えた文化
このコンサートにソリストとして招聘されているのはピアニストのかてぃんさん。
ポスターには本名の角野隼斗で記載されている。
しかし予習記事に続き、自分はかてぃんさんとして聴いた。
上記の予習記事をホール正面階段裏のベンチで書いていると、公演時間が近づくにつれてお客さん、というかおしゃれに着飾った学生が保護者と一緒に集まってきていた。
小学校高学年?中学生?の子が、学生らしくもちょっとフォーマルなお洒落な服にアクセサリーとかつけて、保護者とかピアノ教室の先生?に連れられて来ている。みんな、今日だけ少し背伸びしているような、どこか緊張を浮かべた表情で落ち着かない感じ。
今回、コンサートのチケットはまともに買うと安くても9000円はする。
(学校に文化普及事業とかでプロの演奏家が招かれ、演奏が無料で聴けるていうのはしかし子供にとっては受け身の鑑賞機会になる。)
それにひきかえ、今回のコンサートには学生の無料シート枠が抽選で募集されていたので、ここに集まってるのは応募した子、つまり「音楽に興味のある10代」ってことだ。
生で感じる演奏って、音そのもののの豊かさだけではなく演奏家の息遣い、間合いの取り方、お互いのコミュニケーション、舞台の雰囲気、いろいろなものを肌で直接感じられるので、家のTVで通りすがりに聴くよりも絶対に心に残る何かを持って帰ってくれると思うし、印象に残ったシーンや音は、まるでフィルムの焼き付けのように一生忘れないと思う。その後の人生にも少なからず影響を与えると思うから、なにも構えないで聴けるあの年代の子たちがたくさん(確か招待枠は300人)来てたってことは素直に喜ぶべきこと。
若い世代が親しんでくれるというのは、広く音楽界にとってかけがえのない財産だ。
安く気軽に本格的な芸術を楽しむということは、欧米では広く庶民に普及してることだと思うので、日本でもどんどんこういう事をやってほしい。(うどん県では一般民の興味はまだまだ少ないといわざるを得ないけど)
かてぃんさんとクラシック
彼ら若い世代は、コンサートの触れ込みが何であったにしろ、その自由な感性で本能的に吸収するものがあったはずだ。
そちらではなく。
かてぃんさんが今回のツアーに協奏曲のソリストとして招聘され、全国を巡業する目的とは。
クラシックというか、ピアノ曲にさしてそれほど知識も興味もない層に、訴えかけることではなかったか。
実際は、ツアーのチケットが軒並み売り切れなのも、毎日ネット上で キーワードの # がトレンドに上がるのも、かてぃんさんの影響なのかもしれないけど。
シンフォニーホールの座席が上階までびっしり埋まるさま、自分は生まれて初めて見たので(クラシックだと滅多に無いと思う)。壮観というか圧倒的というか。
クラシックコンサートでここまでの集客力ある公演は、自分は実際には見たこと無い。いや人気のある奏者の公演ならクラシックでも満席になるのだろうけど、そういうステージとは今回の客層は決定的に違う。
なぜなら自分みたいな
「ちょっとクラシック興味あるけどピアノ曲は全然知らないし普段聞かない」
ていうヤツが、
「かてぃんさんって、最近よく聞くよねー」
程度の認識で
「なんとなく席空いてたから」
という理由で来てた人も多いのではないかと思われるからだ(実際に統計取ったわけじゃないけど)。
ここからは、そんなクラシックの解釈とか知らない一般市民の自分の基準で書く。
クラシック音楽って利益を追求しちゃだめみたいな風潮があるじゃないですか?
売るのが目的じゃない、
芸術を研究し、極めるのが本懐だからという風潮。
CDとか音源の売り上げに至ってはPOPS等の人気曲のほんの足元にも及ばないけど、クラシック演奏家は販促のための営業したりしない。
でもその芸術を極めるスタンスから、一般市民に一向に寄ってこないので世界が広がらない面はあるだろう。
それにクラシック音楽は減点するしかない世界観を持っている気がする。(あくまで自分の先入観だけど)
クラシック音楽にそういう疑義を抱いていたからか?自分が小さいころに苦手で辞めて以来、ピアノ鑑賞をふたたび始めたのはYouTube動画がきっかけだった。そこには評価基準もない、聴くのに教養も必要ない、好きな演奏家を好きなように感じればいい自由な世界が広がっていた。
そんな中、自分の推しではないがyoutube動画を聴く中でかてぃんさんのことを知った。クラシックの華麗な技術を擁し、そのレパートリーを踏襲しながらもアレンジ曲の作風は自由奔放。肩書から印象を受ける、既成概念にもとづく格式張ったピアノっていう自分の先入観はどこかに飛んで行った。
クラシック出身でありながらその演奏に全く新しいベクトルを感じていたところで、耳に入ったのが2021年夏のショパンコンクール予選へのかてぃんさんの参加だった。
そこで自分は盛大に路傍の見えない石につまづいてコケた。
「なんで今さらクラシックコンクールなんですか」
って思った。
今までにないフィールドで音楽のジャンルという垣根を越えて自由に表現するのはかてぃんさんならでは、他の人にはできないことだったんじゃないのか?
なんで、他者から評価されて順位を付けられるコンクールっていう舞台に回帰したのか?わかりやすい指標としてコンクールの順位は有用だけど、自分はそれ以後かてぃんさんの演奏を追うのはしばらくやめた。
そんな画一的かつ杓子定規な金太郎あめのような世界に嵌ってほしくなかったので。自分の中で描いていたかてぃんさんの未来像は、もっと流暢に自己主張していたから。いつから指示されるのを待つようになったんですか、かてぃんさん。
ただ。クラシック音楽の表現も追求すれば素晴らしい。
結局題材は何にしても、魂の入った演奏というのは観客の心を掴むものだ。
このコンクールの演奏なんか途中で観客が熱狂のあまり拍手している(が、その場の誰も咎めずに演奏は再開されているのもまたすごい)
その後、今年の夏にフジロックフェスへ出演しているところを生配信で見かけたが、自分の余計な横槍は単なる杞憂だったというか、かてぃんさんの独特の世界はしっかり領域を展開していて、自分は思わず心のどこかで「お帰りなさい」とつぶやいた。
クラシックをかてぃんさんが演奏すると
前置き長すぎ問題だが、そういうわけで自分は角野隼斗とクレジットされているコンサートのポスターを見た時点ではチケットに興味は無かった。
ネット上のどこかで耳にしたが、「クラシックも聴いてほしい」との発言もあったとのこと。しかし上記の通り、クラシック音楽の世界では評価するのはそれなりの教養と経験を持った知識豊かな聴衆であり、自分はクラシック奏者としてはかてぃんさんを見ていない。クラシックも演奏できるエンターテイナーという存在だろう。
エンターテイナー?
そう、音楽というのは評価されたり順番をつけたりするものではなく、聴いてる人が楽しいかどうかだ。上記のブーニンのコンクール動画を見る限り、コンクールなのに観客を巻き込んでリサイタルのオンステージと化している、そんな表現をしているかどうか?というところに自分は主眼を置きたい。
教科書通りに上手にできているか。
ではなくどれだけかてぃんさんらしいか?
っていうところに期待して自分はコンサートに出かけた。
つまりショパンの協奏曲がどういう構成で過去にはどういう解釈の演奏がなされ、今回はポーランドの交響楽団とのマッチングで理想とされる表現は、云々………
そこは問題じゃない。
そういう知識がないので自分の感想は簡潔に終わるのだが(それにしては前置き長すぎ問題)。
かてぃんさんの音は、ねぴらぼ(2020/7/24)で配信で聴いたのが初めてだった。その時なんておしゃれな音で演奏するんだろう!って思ったのが第一印象、その知性と品性を失わないってところがルノワールの「可愛いイレーヌ」っぽい、と書いたのが最初。
(画像リンク:イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢 - Wikipedia )
(※おまけ:ねぴらぼ感想記事)
今回はショパンのピアノ協奏曲。
構成は3楽章だった(初めて知った)。詳細についてはいちいち書きませんけど。
おしゃれな音ってつくづく今考えると語彙力無いな…?
軽やか…
繊細でしなやか…
弾むような…
なんか違うぞ。
しいて言えば鈴を振るような音色ってところだろうか。
弱音が美しい……?
それはクラシック奏者全員に言える、最低限の装備というか技法みたいなものでしょ。
自分みたいな素人にはそれくらいしか演奏を理解するものさしは無いともいうけど、それ以外に決定的な特徴がある。
力強いオケとシンクロするフォルテのとこでも、穏やかに語るようなところでも、弱音だろうがどんな音だろうが、何?真珠みたいな小さくて綺麗な粒が空間を舞ってたという感じだ。そういう角の取れ具合がかてぃんさんにしか出せない音だなあ、と思いながら聞いていた。絶対に力で表現しない、その華奢な腕からは想像もつかないような意志のある音が、しかし爽やかな足跡を残して美しい軌跡を描く。
自分はぎりぎりでチケットを取ったので座っていた席はいわゆる壁から張り出したバルコニー席の奥まったところ。つまり背中は壁で少々ひとりごとを言おうがリズム取ろうが目立たない。その客席の奥まで、水滴のような瑞々しい陰影が漂ってきて優しく耳元で囁くのだ。
曲の構成とかは知りませんけど。
クラシック音楽の表現は与えられたものを鑑賞してる感じで堅苦しい。
しかし、グランドピアノで、コンサートホールで、協奏曲とか聞いた事無い身としては、ピアノでここまで多彩な音出せるんだなあ!と素人らしく感動してて、ふと最近再開したのはいいがちっとも進まない自分のピアノ練習を振り返って、なるほどピアノってひたすら練習しなきゃならないんだな、とひそかに思った。
今回聞きに行って得たものはそれかなあ。1日空くだけでも、練習の進み具合は正直に元の状態にリセットするから。
かてぃんさんのピアノは練習したからといってどうなるという世界ではなく、かてぃんさんの描く世界を具現化したらそうなったという自然現象みたいなものだろうか。
知識がなくても伝わってくる、ピアノの魅力。
クラシックを知らない人にも遍く感動を伝えるかてぃんさんのピアノの世界。
わかりやすい表現、言い換えれば娯楽である。
かてぃんさんはクラシックピアニスト、だけではなく、エンターテイナー。
かてぃんさんの最大の売りはそこじゃないのかなあ?
クラシック曲の、教養を前提として鑑賞するという風習を根底から覆す自由な表現、それがかてぃんさんの真骨頂だ。(まあ楽譜通り演奏しているという点では、曲の知識があったほうがより楽しめるが。)
ピアノの音には、必ずはっきりと人柄が出る。
かてぃんさんのピアノにはユーモアという、理屈抜きに楽しめる要素がちりばめられているのだ。
自分はクラシックのピアノ演奏は聞かないけど、かてぃんさんのピアノにはクラシック曲の目に見えない敷居の高さが存在しない。今回のコンサート行こうかなと思ったのも「どうなるか分からないぞ!???」と期待したからというか、おもしろそうだ!と思ったからだ。
勧められたからじゃなくて、かてぃんさんのピアノに興味があって聴いてみた。それだけだ。
コンサートの評価は半ば出ているといってもいいだろう。
クラシックコンサートなのに、2000席あるのに満員。
その事実が全てを物語る。
戦略にして最大のサービス
かてぃんさんの強み?はSNSの効果的な活用だろう。
いちいちツイートが話題にのぼる。
本人は無意識な節すらある。そこが自然体でまた独特の魅力を醸し出す。
暇だからパリ来た 良い天気! pic.twitter.com/eqI9Ofq1qX
— 角野隼斗 - かてぃん (@880hz) 2022年3月27日
これの前後とかね。この間ドイツで急なコンサートを挟んでおられたはずなんですけどね?どういうこと?ってなる。
ノリでNYきた! pic.twitter.com/T7mKDimjB6
— 角野隼斗 - かてぃん (@880hz) 2022年4月14日
それで帰国したからってこれ。カップ麺に6000いいねって、ねえ?どういうこと?
日本帰ってきました pic.twitter.com/rUggss3T66
— 角野隼斗 - かてぃん (@880hz) 2022年4月20日
かてぃんさん本人がこの調子、この合間にインスタライブを挟んできて、それが海外公演の前の現地練習とか、ほんと本人は自然体でやってそうだがその言動はファンにしてみれば嬉しいものばかり、自分は部外者ながら、楽しそうだなあと見ていた。
ファンが楽しそうなのである。ほんと、本人も誰も音頭取ってない(たぶん)のに、自然と盛り上がってて、あっちこっち忙しそうでほんとうらやましい。
今回のコンサートも、協奏曲のソリストとしての地方公演巡りだから演目はわかりきっているのだが、ネット上を見ると毎日 # つけて盛り上がってる話題がある。
それはアンコール曲らしい。
毎日違う曲をやってるらしい。
ファンの方々は曲目の予想を立てたりして、ネットでは大喜利大会が繰り広げられていた。
自分はかてぃんさんのレパートリーを知らないが、それまでの経緯からどうやら岡山公演ではトッカティーナかきらきら星なのではないか、という意見を見かけ、果たして当日のアンコール曲はトッカティーナだった。
【8つの演奏会用エチュードより トッカティーナ Op.40-3】
唐突にカプースチンをアップする男https://t.co/9AVGHk8AR1 pic.twitter.com/hpQZnUD3B8
— 角野隼斗 - かてぃん (@880hz) 2022年6月22日
ひょっとしてコンサートのメインはこっちじゃないのか。
というくらい、迫真の空気に包まれた演奏。
上に貼った、ショパンコンクールの途中で観客が拍手してしまうブーニンの動画、あれの勢いだ。2000席のシンフォニーホール、満場の観客を巻き込んで変拍子のカプースチンのリズムが小気味よく響く。客席は皆誰一人として身じろぎもせず、固唾を呑んで見守るだけ。オーケストラメンバーまでニコニコしながら?(のように見えたのは気のせいか)、心なしかリズム取ってそのリズムの流れの行く末を見守っているようだ。
ひょっとしてお客だけじゃなくオケメンバーも、毎日日替わりのアンコール演奏を心待ちにして楽しんでる説?
なんかこう生粋のエンターテイナーだなあ、と見ていて感じた。
合間に指パッチンまで入ってませんでしたか?遠くの席ではっきりわからなかったけど。
客観的に言えば、毎日違うアンコールナンバーとか、しかも難曲ぞろい、これを難なくというかそつなくこなしてるように見えるがはっきり言って十分凄い事やってると思う。聴いててファンは楽しいのだが、そこにはかてぃんさんの鉄壁の演奏技術に裏付けられたものがあるからということを忘れてはならない。
普通はね?
演奏家というのはコンサートのプログラム自体に心血を注ぐ。その演奏の出来、評価の行方が今後の演奏家活動の趨勢を握っているようなもの。
アンコールというのは余興、プログラムの興奮と熱狂醒めやらぬ観客のリクエストに応えて有名な小品を演奏するというのがセオリー。
のはずなんですよね。
そこに全力で次々と難曲(よく知らないけど自分的に十分難曲でしょって思う)を放り込んでくるかてぃんさん。
なんというか、キャラは分かっていたけどそれを軽く凌駕してくる、凄みさえ感じるアンコール。
もうただただ圧巻である。
伝統を誇るオーケストラーーーポーランド国立放送交響楽団
よし!ここからはピアノ関連じゃないので好き勝手に書きます。公的情報もなにも、私見盛り込み放題です。ご了承くださいませ。
でも一応公式情報は貼っておきましょうか。
(※公式サイトー日本語じゃありません: NOSPR )
上のピアノ演奏の感想部分で、クラシックコンサートなのに満席のチケット完売状態と書いたが、この後半の交響曲のプログラム部分は従来のクラシックコンサートの体裁だったと言っていいだろう。
自分のお目当てはこっちだった。(最初は。)
チケットを買ったきっかけは、岡山公演の曲目が、ドヴォルザークの新世界よりになっていたからだ。それは個人的に、学生時代文化祭でやった曲だったからだ。正確には2,4楽章を。
色々思い出すのだ、必死でクラリネットやってたけど難しかったなあとか、練習よりもランニングと腹筋がしんどかったなあとか、がっつりみんな練習してんのにダントツサボってるトランペットの子がなぜか頭3つ抜けてうまくて、新世界よりとか目立つ曲も一人だけポーンと遠くに音飛ばしてたなー、等々……
そんな個人のつぶやきはさておき。
交響曲という演目、伝統的な交響楽団の編成。聴いてて落ち着くというか、どこからかフェイントでドッキリ演奏を仕掛けられることもないと分かってるので、和やかな気分で聴けるというか。ホームグラウンドに帰ってきたような安心感。
自分が部活でクラリネットやってたからか、オーケストラでまず聴くのもクラリネットの音。ベテラン奏者になればなるほど、芯がぴんと通ってるのに丸く溶けていくようなやわらかな音を出す。ピアノの弱音は美しいというけど、管楽器の弱音にこそ奏者のすべてがあらわれている。と思う。
ここのオケのクラリネットの音も、素晴らしく透明感がありその響きにうっとり陶酔しそう。やっぱり海外のオケはどの奏者もレベルがただただすごい(語彙力)。
この遠くまで飛んでくる弱音の味わい、
またオーケストラのtuttiの響きが一体となっている様、
それらをじっくり聴きたいので、こういう大編成の演奏会では自分は真ん中の列より後ろの席に座る。かつ席が中央あたりであれば文句なしだが、今回は右端のバルコニー席だった。(それはチケを取ったのが3日前だからであり今回はやむをえない)
簡潔に感想を述べると。
個人の予想(というか期待というか先入観):
チェコとポーランドは隣同士。同じ旧ソ連の文化圏。ドヴォルザークはアメリカで作曲したこの曲に、チェコの民謡要素をふんだんに盛り込んでて、きっとポーランドでもなじみがあるに違いない(っていう勝手な憶測)。だからガッツガツにチェコ節満載のベッタベタな土俗的演奏になってるんじゃないか。そこに東欧要素の渋い音色がかぶってきて、かっこよー!となるにちがいない。
ドヴォルザークの音には通奏低音のようにひっそりと哀愁のあるメロディが混ざっている。
この曲もテーマはアメリカだが、がっつりチェコ民謡ふうである。
ドヴォルザーク 弦楽四重奏曲 第12番 ヘ長調 作品96≪アメリカ≫ スメタナsq. Dvořák String Quartet "Amerikan” F-major - YouTube
楽団はポーランドからだし…そういう渋くて重厚な音作りしてくるのかなあ…(妄想)
というオタクじみた妄想は見事に反映されなかった。
当たり前である。
コンサート前半は協奏曲だからオケは裏方に徹し、かてぃんさんの煌びやかな音色がいっそう輝くように、でもオケと指揮とピアノで呼吸しながらやっていた。
この伴奏的なオケのバックが弱音続きで、逆にオケの腕の見せ所じゃないのと勝手に思ってる。
新世界よりも結論を言えばあっさりとスマートかつオーソドックスな演奏。
そういや当然か、こういう地方ツアーでは一見さんがほぼ全員なのだから、初対面の観客にはまずプレーンな印象を持ってもらわないといけないのだし。
チェコ風?な民謡風にノリノリで羽目を外すというか。
ここっていう聴かせ処で法外にパンチを効かせすぎ、道を踏み外してえらい事になってるところは取材できませんでした。
小声:(なあんだ・・・ふうん・・・)
現場からは以上です。
ただ(個人的には)第2楽章のソロのイングリッシュホルンです。ここがばっちり決まってるかどうかにこの曲のすべてがかかってます(単なる個人的見解)。
ホルンって名前ですがオーボエの仲間、ダブルリード楽器の一種です。これらの仲間は
(参考リンク: コーラングレ - Wikipedia )吹き口がダブルリードっていって葦の茎を二重にかさねたものを使うんだけど、このダブルリードの扱いというか調整が無茶苦茶に難しいのだ。湿気、リードの削り具合、息の通し方、諸々にものすごく繊細なコントロールを要求される。
プロの演奏でハラハラしたことは無いとはいえ。この曲のカギを握る第二楽章が来ると意味なく緊張してしまう。
という素人の余計なつぶやきは横に置き、静かな和音を背景にヴィブラートのかかった旋律が聞こえてくると、あとはただプロ奏者の醸し出す味わい深さにただ声もなく聞き入るのだった。
あとのなりゆきは皆さまご存じの通り。有名な新世界よりの第3楽章の軽快な舞踏のリズム?にのって所々でメインテーマがホルンのあたりから聞こえつつ、第4楽章になだれ込んでゆく。個人的に大好きなホルンとトロンボーンが大活躍するところも聴きどころ。
ホルンが要所要所で弱音を挟みながら、終盤で4管のピッチがバシッと合っててさらに盛り上がる。
後半のプログラムは伝統的な解釈に則った円熟の演奏といえるだろう。
いつもCDで聴いていた曲が現実に目の前で聴けて、それだけで感無量です。
同じ空間で奏でられるしかもプロの演奏、その音色は何物にも代えがたい。
結果論
新世界よりがお目当てだった自分も、結局かてぃんさんのピアノ聴いてすごーって思って、定番オケ曲を海外オケの盤石の演奏で聴けてこのチケ代はお得以外の何物でもない。
何度も行けるわけじゃない本格オケの公演。それだけに当たりチケット引いた感が半端なかった。
自分はうどん県の辺境住みなのでリアルコンサートはコスト的に半ばあきらめ気味、普段推してるネットピアノ配信は家のパソコンやスマホで聴けるから通常はそれで楽しむとして。
やっぱ生演奏っていうのは、人生の栄養として定期的に摂取していくべきだなあ、精神的QOL爆上げだよなあと思うのだった。
※QOLとはーーー本来医療用語だけど、音楽は心を癒してくれるセラピーであるという視点で使ってみた。
QOL=Quality of life(クオリティ オブ ライフ)は「生活の質」「生命の質」などと訳され、患者様の身体的な苦痛の軽減、精神的、社会的活動を含めた総合的な活力、生きがい、満足度という意味が含まれます。