自分はうどん県民。
曾祖父母の代から今住んでる自治体に在住で、自分も県外に住んだことはない。旅行に出かけても関西、遠くて関東の千葉県までだった。
しかし、ふとしたきっかけで生まれて初めて北海道へ行くことになったので、徒然に思ったことでも書いてみたい。
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目的はウチの高3男子くんのインターハイ応援である。
なぜか入ってる部活の試合で県代表になったらしい。いつからそんなアスリートになったんですか男子くん。シランカッタ。
いうてもその競技は県予選の出場校が少ないからという理由だからだった、と思う。とにかく、県予選を突破できて本人は得意そうにしてたので深くは追及しないでおこう。
そういういきさつで急遽北海道へ行くことになった。
今年は男子くんは受験生なので、家族は県外へ行くのは控えてたが、今回は例外だ。
となるとスポーツ観戦で俄然ガチになるのはウチの高齢者。彼らは若いころから(その年代には珍しい競技の)スポーツに明け暮れてて、今も色んな競技の世界大会のTV中継をリアタイしてTVの前で手に汗握って声援を送り、近くで何か大会があったら観戦行くくらいにはガチだ。ただし彼らはプロ野球だけは視界に入らないらしい。その理由は「野球選手は必死さが足りない。リーグ戦だから消化試合みたいになってて、一球に食らいついていく根性がないから応援しない」だそうだ。………プロのアスリートなんだから野球選手も必死にトレーニングに練習に明け暮れてるだろうし一球に食らいついてると思うけど……その言い方はかわいそうでしょ……?
とにかくインターハイ応援ということで、当然高齢者たちも一緒に行ってくれることになった。ていうか高齢者たちがウチよりも(そして他の保護者よりも)ガチで一番気合が入っていたといえるだろう。(いやまじで)
インターハイの会場は北海道だ。男子くんの出る競技は石狩市で開催される。県予選前にチラッと今年の開催場所を見てみたけど、今年は北海道なんだ…?へえ?とか思ったけどまさか行くことになろうとは。
たぶん男子くんは北海道はじめてだよね、あの学年はコロナで修学旅行は遠くに行けなかったからね……だから今回が一番盛り上がってるかもしれないwww
まず結論
時系列に無駄に振り返りたいので、箇条書きに結論を先に述べる。
うどん県民から見た夏の北海道。
・インターハイは応援をがんばった。全国大会とはこんなものというのは昔からいやっていうほど知っているので、応援することに意味がある。というか涼しいので毎年北海道でやるべきまである。野球の甲子園も全部、全国大会とか夏の国体とか、全部北海道でやるべき(極論)。
・というわけで、涼しい。湿気がなくて素敵。一年の大部分は寒い冬とかいう現実から目を背ければ移住したいかもと錯覚する。
・広い。とにかく広い。いろいろスケールが違う。
・食べ物がおいしい。おみやげが、食べ物以外を探すのに苦労するレベルで、食べ物がおいしい。今まで自分がいちばんおいしいと信じてきた瀬戸内海の海鮮とか、身近な地元の農産物とか、…いろいろ価値観が覆された。
これらの、日本の財産ともいうべき北海道の産業を守るために何ができるのか?柄にもなく考える……輸入の食料品に目を奪われることなく、みんな国産の食品を買おう。一次産業を応援しよう。って気になる。
しかし自分はあくまで時系列で思い出したい。長くなるけど勝手に始める。
北海道のイメージ
テレビの旅番組とかドラマで見るところの、一般的な北海道のイメージとは?
毛ガニとイクラがおいしい。サッポロラーメンもおいしい。
クマとかキタキツネとかリスに会える。
釧路湿原でタンチョウが飛ぶ。
最高峰は大雪山。
函館の夜景がきれい。
温泉とか湖とか大自然もたくさんある。
広い牧草地とじゅうたんみたいに綺麗な畑が広がる大農場。
新鮮な牛乳と、乳製品がおいしそう。
とか色々思いついて、わーい楽しそう~!と一瞬思ったが、ネットで学んだ付け焼刃の知識が脳裏をかすめた。
「札幌から釧路までが東京ー大阪間より遠い。レンタカーで自力で運転すると疲れるだけ。そしてガソリンスタンドは極端に少なく、交通事故というより野生動物との接触に気をつけなければならない。クマに遭ったときの練習もしておかないと……」
そういうわけで今回はインターハイの応援がメインであり、釧路湿原でタンチョウが飛ぶのを見るのは諦めたのだった(そらそうやろ)。
石狩市が試合会場、だが札幌は宿泊をはじめとしてすべてのコストが高騰してたので、自分らは札幌から40キロほど離れた小樽に宿をとった。いいもんね、ウチは都会とか人混みの雑踏は苦手なんだ(という開き直り)。小樽は札幌から高速道路で30分余り、そこを拠点に試合日は一日石狩市へ行っていればいいのだから。
また、小樽は市街地にほどよくこぢんまりと観光地がまとまっており、高齢者の観光にもぴったりなように思えた。(そしてそれは半ば当たっていた)
今までの(高校時代の)部活の応援は、男子くんにはなぜかずっと禁止されてたのでこれが最初で最後の応援になる。
というか競技は若干変わったけどスポ少時代は親が全部運営してたし遠征の計画も何もかもやってたなあ、暑い日も寒い日もいつも応援してたなあと逆に懐かしかったり。というふうに色々思う所はあるけど、とにかく最後の応援なので高齢者たちとは違う意味で自分は気合が入っていた。
ただ男子くんからはなんも話してくれなくて、行程表もLINEで写メが来ただけ。どんだけ話したくないんだ?失礼な。ウザいって、そんなストーカーじゃあるまいし。
1日目 四国~千歳~小樽への移動日
移動は飛行機。まず初日、香川から岡山へ出るために瀬戸大橋を渡る。
さて岡山市の岡山桃太郎空港(ここからなら千歳空港まで直行便で飛べる)から飛び立つ。夏らしい青空と灼熱の太陽ともしばしお別れ……?北海道は涼しいってほんと……?ウチは飛行機移動はじつに10年ぶり、北海道は初めて!わーい!
高齢者たちは度々の旅行で飛行機は慣れてるが北海道は25年ぶり、お食事とか楽しみやな~~とテンション上げてたので、自分は逆にプレッシャーだった。おいしい店に高齢者を連れて行かないとダメだし出されるじゃん、がんばらないと…!
いや、がんばるのは試合の応援だ。ウチは10年ぶりの航空機搭乗の例に漏れず、手荷物検査で金属探知機に引っかかる失態をやらかしつつ手続きを済ます。高齢者はというと「何やっとるん」という白々しい視線を送ってくる。ほっといてくれ。
さて空を飛ぶこと、約2時間。移動距離にして1200キロくらい…?関東を超えた先は、自分には未知の世界だ。高度10000メートル。小心者の自分は、危機管理のために飛行中に流される動画を眺めながら、胴体着陸とか緊急避難とかなるかもなという疑心暗鬼に陥っていた。常に最悪の事態を想定するくらいじゃないと飛行機は乗れない(←持論)。客室乗務員が勧めてくれるドリンクものどを通らないので断る。
………だから飛行機は10年ぶりなんですってば。
高齢者たちは無邪気そうに窓の外を眺めてて、こなれたものである。楽しそうだなあ。
平日とはいえ夏休みのハイシーズン、さらにインハイに行く選手の一団も混じって航空便は満席だった。そしてこの後、北海道では宿も何もかも色々満員状態で、行く先々で混雑をきわめていた。
ーーー結論。北海道旅行は8月は避け、6~7月に行くのがいい。たぶん。インハイの混雑を差し引いてもやっぱ8月は夏休みだから家族連れでどこも混雑する。
往路の航空機満席を見てなんとなくこう思った自分の勘は、このあと半分当たり半分外れたと言っていいだろう。
新千歳空港
自分は高齢者を引率するツアコン業者と化していたので、ここに到着できた時点で仕事は半分終わったようなものだった。………この空港は霧で有名っていうし、航空機が予定通りに運航するかどうかは機材の関係とかいろいろ、運次第だから。
北海道の空の玄関、新千歳空港。
うどん県の、飛行機発着ブリッジが2~3つしかない空港を見慣れてる自分にとってはここがすでに遊園地状態だった(落ち着け)。ターミナルビルのおいしそうなレストランや目を引くソフトクリームの誘惑を振り切って、レンタカー業者の送迎車を呼ぶ。おみやげものはここでなくても買えるよ、と心の中で言い聞かせつつ。
さっそく大混雑のターミナルビルで荷物受け取りもそこそこに若干迷子になる高齢者B。いいかげんにしてくれません?これから先が思いやられる。
その後、空港でレンタカー業者の送迎車を見つけられないという地味なトラブルもあり危うく本物の迷子になりかけながら、無事にレンタカー代理店に着き手続きも済ませて無事出発。代理店は千歳空港からも離れた辺鄙な場所(だから安い)で時間も予約時間ぎりぎり、この手続きが終われば実質自分のツアコン業務は終わりー!やったー!
……と盛り上がっていたのは甘かった。本番はこれからだったからだ(そらそうやろ)。
北海道の風景
レンタカーの運転は高齢者Aが責任もってやるというのでほぼ全部お願いした。ありがたいことだ。ちょっと目的地まで、ですぐ50キロという単位の移動だったので自分には運転は無理だったからだ。
ただ自分が楽しみにしてたもののひとつ、北海道らしい(ってなんだ)風景を写真に撮ってみるというお題は結局実現しなかったけど。
振り返ると、泊ってた小樽と、空港の千歳、試合会場の石狩市を結ぶ区間は高速道路とか大きな道路などのインフラが整ってて(なんならJRの路線も多分充実してる)、移動に不自由することはなかったのだけど。逆に言えば車窓から眺める景色ものどかな田園風景じゃなくてふつうの都市の郊外だったり山の中だった。
なんだうどん県と変わんないじゃんか。
つまり夏の北海道といえばイメージするところの
「広い牧場で青々とした牧草が茂り、乳牛がのんびり草食べてるところ」
とか
「大農場に草刈り後の大きな干し草の塊がいくつも転がってるところ」
とか
「キタキツネとかリスとか、鹿が車窓から遠くに見える」
みたいなのを期待してがんばって外を眺めてたが、そんな大自然にはお目にかかれなかった。移動するときにちょっとだけ別方向に走ってれば、すぐそういう風景が見られたはずだけど、土地勘がなさすぎて、また目的が試合という緊張感から?気分に余裕もなくそういう横道に逸れる冒険というのはしなかった。
よってそういう写真は一枚もない。あしからず。
大きな道路沿いにも北海道らしい?というか雪国らしいところはあったけど。しかし写真に撮り忘れた。
なんていうの?大きな幹線道路での珍しい標識。
路肩の白い車線の上に配置された赤と白の縞々の下向きの矢印。
中央分離帯の上にも青い矢印がある。
たぶん雪に埋もれたときに、車が脱輪しないように?というか縁石に乗り上げないようにっていう意味かもしれない。雪が5センチ積もるのが10年に一度あるかないかっていううどん県民には、初めて見る珍しい光景だった。
それと、個人の住宅からお店、マンションまでいたる所にわざわざ1メートル以上?の高い脚がついた200㍑サイズ?の燃料タンクが必ず設置してあった。これが噂に聞く、雪国ならではのセントラルヒーティング?システムとそれ用の燃料タンク?って思わず盛り上がるも、絶対に個人宅が映りこむので(そらそうやろ)、やっぱり写真に撮れずそこは諦めた。なるほどー、だから家の中で洗濯物も乾くしアイスクリームも食べれるんやなー、と納得。家とか店の玄関がもれなく二重玄関になってるのも、寒さ対策というか雪対策だと思う。なるほど、どんだけ冬の吹雪がすごいんだって話だ。それ見てると、道行く車も寒冷地仕様(ガソリンが凍らない)なんだろうなーと思ったり、そういや全部四駆かもなと思ったり……
こういう現実は、夏の爽やかな気候に誘われて思考回路がお花畑になり北海道に住むのもいいなーと浮ついてる自分みたいなのに、厳しい雪国の実態をつきつけてくれる。雪国というなら日本海側の地域はもれなく雪国だ。ていうか北海道は亜寒帯、ロシア(シベリア以外)か、アメリカの北半分(雑な分類すると)とかと一緒。
冬は外にバナナ置いとくと釘が打てる。らしい(?)。雪が積もっても中途半端にとけると凍る…?うーん、10℃下回ると真冬が来た!とか言って騒いでるうどん県民には想像つかない。
小樽の寿司
高齢者に、旅のポイントをまとめてもらうと、
・試合観戦が第一
・第二の目的は北海道ならではの海鮮を食べたり買ったりしたいとのこと。
したがってお寿司屋さんへ行くのはこの旅行のメインイベント(違)。
なんで小樽はお寿司がおいしいのか、そんなの札幌でも食べれるじゃないかと最初は思ってたが、どう見ても小樽の方がおいしそうでしかも値段が手ごろ。小樽には市内に漁港が3つもあって、新鮮な魚介類がリアルタイムで手に入るから、らしい。
漁港があるということは市場がある。
市場があるということは場外市場があるに違いない!
という高齢者の意見で、2日目のメイン目的地は場外市場に決まった(食べ物ばっかり)が、お寿司屋さんだけでもホテルから歩いて行ける距離にだけでもいくつもあったので(市内に約100件あるらしい)、その中の地元の人が行きそうな小さな店に行ってみた。
観光客がメインの客層のお店は、概してろくな品質の料理ではないから(持論)。
小樽の、宿から歩いて行ける範囲にもいくつもある。全部、カウンターの店構えのいわゆる回らないお寿司屋さん。
すごすぎない?
回らないお寿司屋さんだけで市内(の中心部?)に約100件ですって。人口規模はウチの住んでる市の隣の市くらいだというのに。どうなってるんだ。いっそここに住んでお寿司屋さんを軒並み制覇したい。それが無理なら一軒くらいうどん県にお持ち帰りしたい(無理)。
まあしかしお料理というのはその土地の風土の中で食べるから美味しいし、味も引き立つのであって、一軒お店をお持ち帰りしたからどうなるとかいう問題ではない(だから無理)。
通された席は常連さんじゃないからか?カウンターではなかったがお寿司は最高だったので記念写真。
上から
カンパチ、マグロ、生ボタンエビ、ホッキ貝、サーモン
※汁物として土瓶蒸し付き
これで1人3500円。
もう一回言おう。
すごすぎない?
何がすごいかって、(いつも美味しいお料理が出ても絶対に美味しいと言わないでなんかツッコミを入れる)高齢者Aが、店員にお礼言ってベタ褒めしてたくらいにはすごい。
お寿司屋さんもほかにも色んなお店があるだろうし、海鮮料理もお寿司以外にもいろいろなお店があったと思う。しかしとりあえずお寿司屋さん行って気に入っていただけたようなので自分は一安心なのだった(byツアコン業者)。
後で市内を散策すると、観光客向けの海鮮丼屋さんがたくさんあったけどそういう所はイヤだという。なぜ?出されるネタのランクが落ちてるに違いないから、だそうだ。
ほんとめんどくさいな……(byツアコン業者)。
小樽の宿
千歳空港から約100キロ、一時間余りのところに小樽はある。
……こういうちょっとした移動ですぐ100キロになるのが盲点です。それに、目を皿のようにして探さないとガソリンスタンドもすぐにはみつからない、というのもあながち嘘ではない。
空港からは高速だったけど、ほかにも全部道路は延々直線で、信号間、交差点間がすぐ3キロとかになる。色々感覚がバグってくる。そんなこんなで注意力散漫になりがちらしいので、運転手の高齢者Aに一生懸命コーヒーとか休憩とか勧めるも「いらない」の一点張り。そこで意地張ってどうする?飛び出してくるのは子供とかだけじゃなくて鹿とか動物もいるんだぞ。余裕もって運転しなきゃ。
ホテルの駐車場は早い者勝ちの限られた枠だったけど、とにかく空港から直行したので無事ゲット。その枠は3泊4日の間使えたので後々ありがたかった。
ただ、行って見るとホテルは小樽運河沿いの眺めのいいところなのだが、まわりに不自然に駐車場が多い、気がする。その付近は運河としての役目を終えてから土地の使い手がいなくなり、しかし観光地としての駐車場の需要は高い、というところか。
ホテル自体はレトロな内装で落ち着いた雰囲気のすてきなところだった。
ロビーの置物も19世紀ふう。
今回の自分のツアコン業者としての功績はここに集約されるのではないか。高齢者たちが超気に入ってくれたので。そりゃもう設備からコスパから何から何まで徹底的に調べ上げましたし……ツアコン業者としてここが一番大変でしたけど高齢者たちにご満足いただけて何よりです……(ほんとに仕事みたいになってきた)。
宿に使われてる建材が周辺の運河に使われてる地元産の石材と揃えてるのか、それを模した外観なのか街並みに溶け込んでて統一感があった。
上記のとおりロビー、お部屋のインテリアも落ち着いた色の家具調でまとめられ、各部屋にはアンティーク調の内装の家具や照明がそなえつけられてる。水回りも綺麗できちんとしてる(そこ大事)。部屋からの眺めは運河が一望できる高層階だった。
ただ実際の木材の家具だったから年季が入ってるふうだったのは否めない。
そこをぼやいてた高齢者たちも(実際そこは問題じゃない)、広くて豪華な大浴場があったので、温泉宿じゃなかったけど観光の疲れはお風呂で癒せたようで、超満足だったみたいだ。
しかし高齢者たちにこの旅で一番好評だったのはここのホテルの朝食バイキングだった。(なんでそこを気にしてるのか?それはこの旅のツアコン担当は自分だったからでして)
いやほんとレベルが違った。
新鮮なパリっとした生野菜(地味にそういうとこは中々無い)がずらっと並ぶサラダコーナー。味噌汁のネギも綺麗。
お米のごはんが美味しすぎる。
みんなのお目当ては海鮮丼だったと思うが、お刺身の品質は言うまでもなく。またここに限らず、サーモンがどこで見ても最低でも1センチの厚さで驚く。ブロックで流通してるってこと?
塩辛その他ごはんのつけあわせ、和風のお惣菜、どれも種類豊富で味付けが本格的、さすがホテルというところか?牛乳も地元産らしく、おいしい。
さすが食材の宝庫たる北海道の面目躍如。ラインナップがすごすぎた。刺身にしか目がない高齢者Aと違い、高齢者Bと自分はいつもおかずとか料理作ってるだけあって、和風総菜の味にはシビアだがどれも美味しいということで意見が一致したので。
洋風のからあげとかウインナーとかもあったけどそこを目指す人はほとんどいなかった。そりゃそうやろ。
ミニケーキとフルーツも充実、そこは個人的に外せない。
手ごろな値段で泊まったところにしてはサービスも含めてすばらしく、快適に滞在できたので特にここに書いておく。
※ ↓ 泊まったところ
【公式】ホテルソニア小樽 - 小樽運河沿いにあるヨーロッパ調のホテル
2日目 小樽の街並み
海産物の卸市場と観光客
今回の旅のメイン目的は海鮮の食事と市場での買い物(←←違)。
というわけで市場といえば朝から営業?というイメージから、場外市場に行ってみた。市場はどうやら一か所ではなく分散してるらしい。でも自分たちが想像してたような観光客相手の店が立ち並んでにぎわってる場外市場じゃなくて、ほんとの地元民が日常的に食材を買い出しに行くような、スーパーの海産物売り場とそう変わらない雰囲気のところがほとんどだった。その証拠に観光客の姿はそこでは一人も見なかったから。
しかし置いてるものが、いちいちすごい。
イクラの筋子、まとまった量の生ウニ、殻付きのホッキ貝とかホタテとか牡蠣、サーモン刺身の大きな短冊、水揚げされたばかりのヒラメ?その他多様な鮮魚、ホッケとか貝柱とかの上質な干物、それから生け簀で泳いでる毛ガニ、……数えるときりがない。
こういうところで買い置きしておけるなら、食卓はものすごく豪華になるにちがいない。
自分の脳裏からは一瞬冬の寒さと積雪という一年の大部分を占める要素が抜け落ちて、
『こういう地域に住めば、……お寿司屋さんとか通わなくても日常的においしい海鮮が食べられるのでは…?ウチの地元のうどんがおいしいとか比べ物にならないレベルで、格安に豪華な食材が手に入るのでは…?』
という考えに一時取りつかれたのだった。
しかし我に返って考えてみた。自分は寒さに致命的に弱い以前に、冬季の燃料代がすごいことになる事に思い至り、経済力もないのに軽率にこういうとこ住みたいなーとか思いつくのはやめることにした(そりゃそうやろ)。
しかしお店のおじさんがぼやいてた事がなんとなく耳に残る。
そういやこの後回った小樽市内も外人、つまりアジア人がほとんどを占めてたように思うのだが、市場のおじさんも「日本で売るよりアジアの他の国のほうがよっぽど高値で売れるから、質のいいものは全部外国へ流れて、国内に流通するのは下等な品質のものだけ」と言っていた。
それに、北海道という有名観光地に来るのが外国人ばかりということは?
日本に来れば他の国より格安に旅行できる物価の安い国とみなされてる(実際そうなので)ということだ。
そうつぶやいて市場のおじさんはため息をつき、高齢者Aも「そういうことやな」と言ったきり黙って向こうへ行ってしまい、あわてて自分は後を追った。
結局この場外市場では地元の人向けのなまものしか扱いがなくて自分たちはあまり買わなかったのだけど、
小樽の町は有名観光地だから札幌と同様に外国人の姿が大部分を占め、自分はその日ずっとおじさんの言葉をわだかまりのように胸の片隅に置きながら回ることになった。
しかしその後楽しくて暗い影はしばらく忘れてたけど。
近代建築遺産
さて、小樽は運河が観光地として有名だ。
運河にレトロな倉庫が残ってる景観が有名らしい。観光雑誌とか観光サイト、TV番組でも取り上げられて有名だ。そのくらいなら自分でも見かけたことがある。
街並みを散策してみるとこういった堅牢な造りの豪商の倉庫街がずらりと並んでいる。どれも明治時代からの遺構ばかり、当時の繁栄をわずかながら伝える建築というところだ。
こちらは日本郵船の旧小樽支店。
当時の運河の海運を一手に引き受けていたようで、広大な船溜まり跡地を伴っていて、当時の繁栄が偲ばれる。
というわけで、観光名所であるそれらの街並みと倉庫街をながめられる小舟でガイドさんの解説を聴きつつ運河をめぐるクルーズというのを予約してたので、40分ばかりの船旅に出た(大げさな……)。
その間、にわか雨に出会って全身びしょ濡れからの、舟のガイドさんが簡易合羽を配布してくれて難を逃れるっていう事件はあったものの。
綺麗に整備された沿岸の遊歩道もあわせて、明治時代には開発されていたという港と運河沿いの倉庫街を高齢者と一緒に、また同乗の観光客と舟で楽しく巡ったのだった……
近くにはレトロな街並みを利用した、観光客向けの商店街もあった。ただ暑すぎて高齢者には気候がきびしく、また混雑しすぎててあんまり回ることはできなかったけど。
(単なるスマホでの撮影のためポートレートにすらなってない写真ですいません)
しかし自分は、上記の倉庫街を眺めながら、この町で育った作家の事を考えていた。
小林多喜二だ。
彼は1924年小樽高等商業学校(現在の小樽商大)を卒業後、その後小樽の北海道拓殖銀行に就職している。(伊藤整も学生時代には彼と同窓生だったのだが、自分はなんちゃって社会主義者のため、視線は小林多喜二に不自然に偏っているがご了承いただきたい)
言わずと知れたプロレタリア文学の作家で労働運動へ参加し、治安維持法で逮捕され29歳で命を落とした。
ここに並ぶ倉庫街と小樽港の近代化に伴う経済的発展。
それは明治時代に端を発する開拓、札幌と小樽のインフラ整備(鉄道とか金融とか)によるものだったけど、それを牽引してたのは当時でいう所の資本家だ。彼らは財閥として明治政府から格安で工場や施設などの払い下げを受けたり、あと日清・日露戦争と第一次世界大戦の戦争需要によって大きく事業規模を広げたものも多い。戦争需要とは武器や兵站の需要で、要するに死の商人だ。
運河沿いの写真の下側、手前に見える白い壁は、渋沢倉庫といって渋沢栄一が関わっているらしい。なるほど、権力者だなあと思って自分は素通りした。
明治時代の労働者の環境が劣悪だったのはいうまでもない。
ここ小樽でも港湾の労働者、冬季の馬ぞりの荷役とか、はしけで荷を船から運搬する労働者たちは住環境もふくめて不衛生かつ不健康な条件下で働いていたようで、もちろん労働基準法もない時代だからたぶん使い捨てのようにして物のように扱われていたらしい。
はしけ舟の船溜まりは、雇用主である日本郵船支店の目の前に跡地が広がっている。
小林多喜二はそんな労働者たちを見て育ち、長じて労働運動に身を投じたようだ。
それから鉄道と並んで小樽に甍を並べた(いうても瓦屋根じゃないけど)のは金融機関だ。日銀小樽支店を筆頭に、写真のような名だたる銀行や証券会社が(多い時は19軒)並んでいたらしい。人呼んで北のウォール街。なるほど?旧日銀の建物はそのまま、日銀が管理してるのか?金融資料館みたいになって見学自由だった。
商品によっては、当時の世界市場の相場を握っていたものもあったという。どんだけ。
ただ彼ら金融機関も業務の取引先はあくまで資本家、つまり労働者を搾取する側だったということに変わりはない。
北海道拓殖銀行がどの建物なのかよくわからなかったけど、小林多喜二はその後東京で特高警察に逮捕され亡くなっている。(この街並みを利用した中に小樽文学館なる施設があったが、自分も元気が残ってなくてそこは回れなかった)
小樽港が繁栄していたのは、はしけ舟つまり大型船から荷下ろしする舟が活躍してたころまで。その後大型船が接岸できる埠頭が港に整備されると、はしけと運河は役目を終え、現役で使われることはもうない。
当時の繁華なようすを今に伝える石造の建築群だけが残され、栄華の一端をわずかながら物語っている。
3日目:インターハイ
旅行の主目的はこの日の応援だったのだけど、ここに書くと内容も写真も含めてがっつり個人情報なのでそこは置いといて、自分のこころのつぶやきに留めたい。
この日のメイン行事は応援だから、午後の試合だったけど朝からかけつけて、他校の試合も観戦して参考にすることにしていた。というわけで周りに飲食店もない中、あるのはセイコーマート!というわけでそこでお弁当を買ってみるのがこの旅行の最大の目的(違)!
といいつつ、行ってみると勝手がわからずに平凡なお弁当を買ってしまうのは観光客あるあるだ。メロン味とか?限定品のアイスとか売ってたらしいが、そういうのを探す気分的な余裕がなかったのでさっさと試合会場に向かった。というか試合会場にたどり着けただけでも自分の仕事は終わったようなものだ(違)。
札幌市の隣の石狩市、沿岸部の防風林の中に広がる工場地帯と点在する住宅地の中に試合会場はあった。
その競技の日本代表が毎回合宿に使うくらい、選手たちの間ではメッカとして有名らしい。なるほど、サブグラウンドと主グラウンドに分かれてる。まわりにも広大なフィールドが広がってて、何校集まってもウォームアップも練習もし放題である。ただ、試合前の練習は他校を借りることができたらしいけど。ありがたいことです。
試合の運営もたぶん地元の、同競技の高校生の部員が無償ボランティアでスタッフをやってくれていた。こういうアマチュア大会における生徒の労働力搾取はどうにかならないのか、とまた自分はなんちゃって社会主義者ぽい思考回路に陥っていた(めんどくさいな)。
他の試合は次々と大差の点でコールド試合が決まっていく。その勢いにおののきながらいざ男子くんの出る試合が始まったのだが例にもれず同様に大差の試合となったのだった。
そんなことは全国大会あるあるで、上位校は代表に食い込もうかという選手も混ざる中、みんな県代表として鍛錬を積んできたのだからそうそう通用するわけもなく……
それよりもやっぱり応援で誰よりも張り切って気合入ってたのは、ウチの高齢者(と自分)だった。
なんか偶然全国大会出れたから応援に来てみたの、がんばって♪♬っていう、のんび~~りとフィールドを無言で眺めてる他の保護者を差し置いて………
ことあるごとに大声で激を飛ばし、目を血走らせて(?)試合の成り行きを固唾を呑んで見守る高齢者ふたり。
そういや自分もスポ少時代はずっと応援に張り付いてたことを思い出し、要所要所で応援の声を上げた。
静かな応援席に自分らの声だけが響き渡る。
なんなの!?とビビッてドン引きするほかの保護者。
《………いやいや応援しようよ!君ら何のためにここまで出てきたの、一緒にやろうよ!》
って口に出してほかの保護者の肩たたいたり……はしなかったけど、しかし熱血ガチ応援はウチらだけであった。
騒がしいだけ?
いや、応援した方が、選手らはきっと心強いと思うよ、甲子園の応援団見てみなよ、絶対効果あるって……
まあ第一には選手の実力がものをいうのではあるが、しかし応援が選手の背中を押すことは、心理的に考えてもまず間違いないのだ。
積んできた練習量が圧倒的に違うのか、ウチの校風がのんびりしてるからか?試合の結果は大差の点数だったけど、当の選手たちはやりきった感があったので、自分も応援は精一杯叫んでたので、満足?ではある。
※応援席は芝生で、観客も保護者もまばらに散らばり、密集した応援ではなかったことを追記しておく。
このあと札幌市内のサッポロビール博物館を見学して、隣接したレストランでジンギスカン料理を食べよう!っていうのがツアコン担当の自分のプランであった。
しかし試合が長引いたのでビール博物館は省略することにしてさっさとレストランへ向かったのであった。
そんなわけで、移動中に見ようと思ってた地平線まで続く道と農場とか、道端でエゾリスとかキタキツネに出会うとか、そういうなんか北海道らしいことっていうのができなかったのは心残り。
試合が長引いたからなのでそういうのはやむを得ないのでいいんだけど。
車窓観光的に、サッポロビール博物館で外観だけ撮ってみた。手前のビール樽には、右から縦、かつ斜めに読むと「麦とホップを製すればビイルという酒になる」という標語?がかかげられている。なるほど~。
さてその後、博物館に隣接するなんか良さげな綺麗なレストランを予約してたので、このレンガの建物をガラス越しに眺めながらジンギスカンを夕食にいただいたのだった。
そこは高級店ぽいしお客さん少ないんじゃない?ほんとは予約なしでもいけるやろと、たかをくくってたけど甘かった。200万人規模の都市札幌を甘く見てはいけない。みるみるうちに満席になって店を出るころには行列の待ち列ができていた。まじですか?
ここのレストラン自体は綺麗なところで、お料理もきちんとしてて美味しかったのでたぶん高齢者たちには満足いただけたんじゃないかな。とツアコン担当としては気を揉んでいたけど。たぶん大丈夫。
………あーほんとツアコン担当としてはどうなることやら心配しかなかった。
試合応援より、ほんと予定が円滑に運ぶのかそれだけが問題だった(ほんとに)。
4日目:札幌ラーメン
空港はサバイバルの場
ゆったりと日程を組んだので、最終日は移動日としてくらいしか予定はなかった。空港へ帰る途中に、札幌卸売市場の場外市場に寄ったくらいだ。またしても場外市場?しょうがないです、高齢者の指示によるものなので。
しかし実際には小樽で目当ての買い物はできなかったらしく、高齢者はここで目的の海産物を購入してたので、ちょっとは意味はあったかもしれない。
そうして札幌から空港まではちょっと50キロの道のり、こういうちょっとした距離にびっくりするのだけど、とにかく空港からめっちゃ離れた辺鄙な場所にあったレンタカー業者の事務所にも無事到着して一安心だった。ここに着く=飛行機の便に間に合うのと同義語だからだ。あとは自分で運転して道に迷ったりすることももうない。
しかし、試合の応援に来てた保護者も、ほぼレンタカーだったかもしれない。ナンバープレートのひらがなから推察するに。そりゃそうだろうなあ、現地行って見たら試合会場近辺には路線バスも走ってなかったし。空港だけじゃなくて、苫小牧ナンバーのレンタカーも多かったのは、カーフェリー勢かもしれない。それも一理ある、寝てる間に着くから時間はかかっても旅行の日程としては合理的だ。ただうどん県からはその選択肢がなかっただけで、フェリー使える人うらやましいなあー。
そして空港にたどり着いたのはいいのだが、そこからが凄かった。夏休みの日曜日だったというのを忘れていた。
まずここでお昼時だからご飯食べてから搭乗しよう!って言ってたのが甘かった。
ターミナルビルの中はお土産店も飲食店も、というか通路に至るまで歩けないくらいの人の波。おみやげをあらかじめ買っておいてヨカッタ。こんなんじゃ買い物にもならない。
しかし飲食店もどこも10人以上の行列で飛行機の便にはたして間に合うのか?という問題が浮上する。そのへんで並んでるインハイ帰りらしい学生もみんな同じことを言ってたけど。なんで飛行場でごはん食べるのに行列なの?と、高松空港しか慣れてない自分には色々想定外だった。
普段からこんな調子なのだろうか、そこにインハイを招致したのは何かの間違いなのでは、そんなのお客さん捌き切れるわけないじゃん、とこの理不尽な状況にふとそんなことが頭をかすめるが、ラーメン店に並んだのでたぶん間に合うだろう、たぶん。
この人波の流れが行きつくところで偶然並んだラーメン屋さんに入ってみたら、そこは札幌ラーメン(太いちぢれ麺にバターの乗ったスープ?)の店だったのだが、当たり前ながら。時間に急かされながらもそこで食べたラーメンは、めっちゃおいしかった。
後日、帰省してきた妹たちに解説させると「そうゆう飲食店街の〇〇横丁的な店の配置は、入り口にある店がいちばんおいしいからそこに入ったのは正解」だそうで、なんか知らないが当たりの店に入ったらしい。そんな〇〇横丁で食べたことないのでシランカッタ。
ていうかそのラーメンがおいしすぎて、麺もスープもすばらしすぎてやっぱり家に帰ってからはしばらく何も食べたくない症候群だった。だって何見ても比較にならないんですよね(まじで)。ラーメン屋さん入ろうとか絶対思わない、中途半端にお店入るくらいならインスタントラーメン食べる。
さらに手続きに延々と手荷物窓口に並びつつも。
予約してた便は機材管理の都合でお約束の遅延になりながら、天候的には恵まれてて無事に飛び立った。自分が心配してた胴体着陸とか緊急避難とかにもならずに、無事に帰ってこれたのだった。あくまでそこは心配性。
そういえば書くのを忘れていたが、高齢者たちは結婚〇〇周年記念の旅行だったらしい。それもシランカッタ。まあ偶然手配してたのはお食事も高級店?だったので良かったのだけど、それは単なる偶然ともいうwww。
男子くんはそれから1日遅く、ついでにエスコンフィールドでプロ野球観戦もしてきたらしく機嫌よく帰ってきた。自分らの試合は?まあ全国大会だもん頑張ったよね、らしい。うんそうだねっと言っておいた。
修学旅行がコロナの影響で「四国から近県にまとめられてて地味だった」たしいので、彼らには今回のが旅行って感じで盛り上がってよかったらしい。なので根掘り葉掘りどうだったか尋ねるのはやめた。友達同士で楽しかったらしいからそれでいいじゃん。
とにかく往復飛行機と、レンタカー運転という交通手段のなかでトラブルなく帰ってこれたことが最大の収穫なんじゃないでしょうか、ツアコン担当としては。
それは選手たちも同様で。
自分は、個人的には、一人でもまたそのうち絶対に、こんどは混雑しないころの7月?に、絶対北海道行きたいなー旅行するなら北海道以外ありえないよねー?と思う。
当面、がんばって働こう……